いいねえ? あわてんぼうの鯉のぼり
やっとさくらが咲いた!その空に早くも鯉のぼり!集合住宅の棟から棟に渡されたロープに元気よく泳いでいます。端っこの吹き流しが今日の強い風で絡まっているのをお爺さんが長い棒でこんがらがっているのをなおそうとしています。危ない危ない。でもなぜ今!
その下の花壇にはアジサイの新芽。やっと春になったと思ったら何やらせわしない様子で次の出番の用意をしているみたいです。
桜並木の中を歩くといつ散ってしまうのかと話す井戸端会議のおばさんたちがいます。気にしているようでも楽しそう。「次の次ぐらいの雨かなあ?」それはいつまでもそばで咲いていてほしいという思いがなせることなのか少々おかしなことですがその心情、分かる気がします。「あっという間やね!」「去年の桜よりたくさんつぼみがあるような気がする」「お花見は遠くに行かなくてもここで十分!」
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに
色あせる桜に人生の衰えを重ね合わせた小野小町の一首ですが、まごまごしている間にいろんなタイミングを失ってしまいますよとも取れそうです。
女性はその若さ、美貌の衰えを嘆きますが、はかなく散る桜はまた来年同じ時期に同じ場所で咲きます。私は嘆くだけにとどまらず、また次の新しい自分を待てるような1年にしたいと思っています。
衰えることはこの世に生を受けた時から、始まっています。
話は飛びますが先日ミイラ展を見てきました。何千年も前に生きていた人は物言わぬミイラとなって横たえていましたが、副葬品やそこに書かれた文字から生き生きとした生活を垣間見ることが出来ました。
豊かと言う意味がどれほどのことかは計り知れませんが、確かに生きていた!と言う証をその静かな姿に見ることが出来ました。
私たちはミイラとしてこの先 残ることはありませんがそれならばなおさらのこと、今を生きる喜びを謳歌したいものです。
春になった!さあそれなら次は鯉のぼりをこの団地に泳がそう!それは少し突拍子のない発想のようですが、桜の花のようなはかない一生を無意識のうちに感じてるからこそかもしれません。鯉のぼりから桜そしてミイラに思いが飛んでいく今日の私は少しあたまの中が混乱しているのかもしれませんが、それはそれで横尾忠則さんのサイケな作品のようで激しい中のせつなさを絞り出したみたいでこれも春のなせる業かもしれません。
今日は少々テンション高めであの風に立ち向かうお爺さんがなんだかかっこよく見えた団地の春でした。