ニケと歩けば cent quatre
今、公園は黄色や赤の落ち葉の絨毯です。
春は満開の桜の花、散ると青葉の5月
夏は日陰を作ってその下のベンチに座る老人。
今はその絨毯をサクサクと歩きます。
年甲斐もなく今朝は落ち葉を拾いました。
この赤は完璧、これは黄昏ている、虫食いのある葉っぱも紅葉して
桜が秋を楽しんでいるようです。
季節を楽しむ毎日ですが、いつもこの時期不思議と「死」を考えます。
それは主人が逝った月だからかもしれません。
それは怖いことではなく、その日がいつなのかを知りたいわけでもなく
、亡き人を思い出すということなのかもしれません。
以前友達とひょんなことから最後のことが話題になったことがありました。
両親も見送ってなかには同級生が亡くなりだんだんと周りがいなくなって次は!ということになり…。
「私は最後どんな死に方をするのか楽しみにしている」というと
皆が「変わっているね」と笑いました。
「胃腸は丈夫だと思っていたのにい胃がんか~。自動車には気を付けていたのにひかれるなんて!ゆっくり気を付けていた階段から落ちるなんて!これが私の締めくくりか!」みたいにどうすることもできない運命です。
その瞬間、何か感情が湧くのでしょうか。
主人もまさか胆石の手術で自分が逝ってしまうとは到底考えられないことだったでしょう。もう一度会えるなら、どんな気持ちだったのか聞きたい気もします。脱サラで商売を始めて人一倍健康には気を付けていました。
健康診断を受けて小さな胆石が見つかりました。
盲腸よりも簡単な手術と言われ3日後には退院できるとのことで、入院を決心しました。
なぜそんな簡単な手術で…。と生命のあやふやに心が痛みました。
それぞれのしまい方は決まっているのかもしれません。
何度病気をしても生還する人。健康に人一倍気を付けていてもあっけなく逝ってしまう人。
私はもう何十年も健康診断を受けていません。
これからも受けないと思います。
まだこの世でしなければならないことがあるなら生かされるでしょう。
同じ月に初孫が生まれました。何か主人と繋がっているような、バトンが渡された気がその時はしました。その子ももう8歳。
せっかくいただいた命、最後まで大切にしたいと思っています。