ジェットコースター人生 その25[2]
目が覚めたのは、その日の夕方でした。夢も見ず深い眠りでした。
医師から告げられたのは、「アナフィラキシーショック」でした。
蕁麻疹が体の外に出ず、内側の内臓が腫れ、気管を塞ぎ眼球の神経までも
傷つけたということでした。あと5分来るのが遅ければ、今はなかったとも
言われました。あの世に逝っていたかもしれない深刻な事態も何か他人事で、生きていて良かったと思えたのはもう少し時間が経ってからでした。
病室に運ばれたとき、家族の連絡先を聞かれました。実家には心配させたくなかったので子供の携帯番号をガラケーから探してもらいました。意識は
ハッキリしているものの手に力が入らず点滴の針が外れてはいけないので動かさないようにと言われました。
東京にいる息子は、連絡がついてもきっと帰省するだけのお金は持っていないとあきらめていましたが、先に着いたのが兄の方で、「よく帰ってこれたね」というと財布の中に片道の新幹線代がかろうじて残っていたというのです。こちらに向かう途中は、「父も亡く、もしものことがあったら大学を辞めて仕事を継ぐしかないのか」と覚悟したそうですが、病室で私の顔を見てホッとしたそうです。
妹はなかなか連絡が取れずそれから1時間ほどしてからやってきました。
私の顔の腫れはまだ引かず紫色で、それはひどかったそうです。
身体も心もいっぱいいっぱいだったのが、一気に流されたような安らぎがありました。入院中は何も考えずにゆっくりしよう。神様が「少しはゆっくりしなさい。」と言ってもいうことを聞かない私のことですからこんな荒治療で分からせてくださったのかもしれません。
生まれ変わったというよりもう一度チャンスをもらったという方がピッタリ
かもしれません。次第に力が沸いてきました。もうひと頑張りです。
退院の時、担当の先生が「こんなお顔をされていたんですね。あの時とは別人ですよ」と言われました。
帰宅すると愛犬がちぎれそうに尾っぽを振って出迎えてくれました。
懐かしい家の匂いを思いっきり吸い込みました。ただいま❣
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