ジェトコースター人生 その51-2
訓練所に入る前に富士山の麓で1週間の合宿がありました。
終了したらいったん地元に帰って再び東京に戻ります。京都から受験した人と一緒に住むことになりました。
母屋の横からアパートへつながる細い道があって4部屋のこじんまりとした住宅です。その当時は携帯電話もなく,ましてや部屋に固定電話などありません。
大家さんの家にかかってくるとベルがけたたましくなって、急いで降りて行くと、玄関にその黒い電話が鎮座していて、遠慮気味にこそこそと話します。
朝は満員電車とモノレールを乗り継いで羽田の訓練所があるビルに行きました。
一組15人程度が10クラス。150人の卵です。毎日の講習は本当に厳しくて、
夕方は近くの空港で飛行機を見ながら慰めたり励まし合ったりしました。
青春の一コマです。飛行機を見て美味しいものを食べると回復!します。
ある日フランスからコンコルドが試験飛行で羽田にやってきました。夕暮れのよどんだ空の遥か向こうから巨大な鳥は鎌首をもたげてすさまじい轟音と一緒に降り立ちました。違う星から来たみたいなたたずまいです。
いよいよ半年の訓練が終了すると国際線と国内線に分けられるのでみんな必死でした。毎日毎日飛行機の半分ほどを切り取った実物大の模型で食事のサービスやワインの名前と産地、アナウンスなど繰り返し練習します。最初のころはふるさと訛りが出てみんなで大笑いしたり、片手に大きなスプーンとフォークでオードブルを取るのがうまくできず落としてしまったりと失敗の連続です。
いよいよOJT「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」は実際に飛行機に乗って訓練の総仕上げです。胸には「訓練生」のプレートを付けます。渡されたスケジュール表にホノルルの文字がありました。「その飛行機が着陸したらハワイ!」旅行気分と言いたいところですが、覚えることは山のようにあります。
その時が来ました。合格か否か?発表まで気が気ではありません。教官が結果をもって教室に来ました。
しばらくの間があって…「全員合格!」と発表された時はみんな抱き合って喜びました。
鬼の教官も涙目です。落第生が出なかったことがよほどうれしかったようです。
その夜はみんなで食事をしました。皆が揃うのはその日が最後です。それぞれのスケジュールで動くことになります。
家に帰ってから何度もスケジュール表を眺めました。気持ちは高ぶっているのに一瞬で寝落ちしました。