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女にも男気はある

「男気」と言う言葉、普通は男性に使います。

最近は男らしくて人が困っていると黙っていられない正義の味方の女性が増えてきました。

性別で判断していた今までと違ってその人なりを表現する時代になって来たからこそ誉め言葉として女性にも使われているようです。

人が困っているとき、何とかしてあげようとする気持ちは、だれよりも強くて頼りになります。

相談しても、まずは前向きに聞いてくれます。何とかしてあげようという気持ちが態度に現れています。どこまで助けることが出来るかわからなくても任せておいて!と言える強い人です。

そんな人はいつも周りに人が集まります。

困りごとが無くてもなぜかその人の傍にいると安心できるからです。

男気というと私の祖母を思い出します。彼女はまさしく男勝りで、ある意味祖父よりも大黒柱感がありました。

当時は京都の丹後地方から背中に着物の反物をしょって半年ぐらいに一度やってくるおじさんがいました。いつも明日は田舎に帰りますという最後ぐらいにやってきます。それを察してか祖母は「それ全部おいていき!」と言います。頭を深々と下げて帰るおじさんは子供心にも「よかったね」と言って上げたいようなホッとした表情でした。

淡路島からとれとれの魚をバイクで持ってくるおじさんも、秋には山で取れたまったけや、栗を売りに来るおばさんにも同じことを言います。

祖母にはそれらをさばくだけの知り合いや家族がいました。ご近所に持っていくように言われて何回か家を往復して、お向かいや隣近所に配るのは私の役目でした。

その日の夕方、きのこご飯や、まったけに使うようにということなのか何本ものポン酢をいただいたり、小鯵は南蛮漬けになり、鱧は湯引きで届けられます。もう誰がおすそ分けしたのか分からなくなるくらいいろんな、ものが飛び交います。

少々高額なのは反物ですがそれは親せきの娘や嫁にそして私にも。

母は一駅向こうの自宅で着物を仕立てている人にお願いしていました。

ひょっとしたら祖母はカモになっていたのかもしれませんが知ってか知らずかそんなことは一向に気にしなかった人でした。

その気風の良さが小さいながらもかっこいいと思ったものです。

またいつも居間には来客があり、賑やかなことが好きな人でした。

お別れの日には「あーあの人は確か!」と思える人もたくさん参列してくれました。賑やかなことが好きな祖母にはぴったりの葬儀となりました。

そんな祖母にもう会うことはできませんが、彼女の人生はいつも赤く焼けた鉄の棒のように力強くてどのようにも形を変えることが出来る不思議なパワーがあったように思います。

私が祖母の性格の一片でも受け継いでいるとしたら、器の大きさにはかないませんが、頼ってきた人を何とかしたいという気持ちがあることだけは同じかもしれません。

さあいよいよお盆休み。夕方には娘一家がやってきます。

やはり誰かが来るとなると、掃除や料理に少々張り切る私です。

今日もいい日にしましょう!






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