ちょっとお洒落な「隠れ俺TUEEE」のススメ
俺TUEEE(おれつえー)とは、概ね「無双(状態、~すること)」と同義で、すなわち「俺」が圧倒的な力を以って敵をやっつける、という意味です。
今回はそういう「主人公が強すぎる」作品と、逆にそうではない作品を比較しつつ考察してみますね。
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そもそも俺TUEEEと聞くと、ネガティブなイメージをする方もいるかもしれません。
WEBサイト「小説家になろう」などに投稿された作品について語られることが多く、物語に深みがないだとか、主人公がなんの苦労もしないで成功してしまうだとか、そういった感想と結び付けられて考えられることが多いようです。
しかしながら、僕が思うに、俺TUEEEでも「ちょっとお洒落な」作品だと、そういった批判にさらされていないように思うのです。
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サマーウォーズというアニメ映画をご存じでしょうか。
サマーウォーズにて活躍する主人公は、本来は解けないとされているはずの暗号を、解いてしまうんですね。
主人公が解読する「RSA暗号」というのがいかに難解であるかについては、ユーチューバーさんが説明してたりするんですけれど、
そもそも主人公は数学オリンピック代表候補……をギリギリ逃すくらいの実力を持っている設定です。
この時点で、かなりTUEEEですね。
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あるいは、葬送のフリーレンはどうでしょうか。
主人公のエルフ魔法使いは、ほぼほぼ最強です。しかも、彼女が修行をする場面や、いかにして最強になったかについては、あまり描かれないまま物語が進行していきます。
しかし葬送のフリーレンにおいては、人間の魔法使いであるフェルンや、戦士であるシュタルクの成長が描かれるため、一見すると俺TUEEEっぽさが感じられないのかもしれません。
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では主人公が最初から強くはないタイプの物語にどんなものがあるかというと、例えば進撃の巨人があります(最後に番狂わせがあるとはいえ)。
主人公こそ死にませんが、周りのキャラクターはバンバン退場していきます。
あるいは呪術廻戦もそうで、大好きなキャラクターが退場してしまった時は、マジか……と悲しくなりました。
こういった、主人公が必ずしも強くないパターンの物語では、主人公は「主人公だから」という理由で退場を免れます。
映画で「弾丸が避けていく」などと表現されるように、これはこれで、一定の批判を受けざるを得ません。
ただ単に「幸運」だから主人公が生き残るのに比べて、主人公が強いから生き残るのだ、という理屈は、より説得力があるとさえ言えるかもしれません。
ちなみに、フリーレンタイプの「最強の誰かが一緒に居てくれる」物語では、「最強の人が全部やればいいじゃん」という批判を受けることがあります。
そうではなくて、本当に主人公(たち)が弱いところから成長していく、しかも、安全を確保してくれる「最強」の存在もいない――そんな冒険譚のほうが好きだ、という読者/視聴者もいるのだと思います。
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いろいろ書いてしまいましたけれど、個人的には、どの種類の物語でも、面白ければ何でもOK! と思っているタイプです。
主人公が強いと安心して見れるというか、ストレスなく見れるというか、そういうメリットがあるので、ひどく疲れている時は俺TUEEE系の作品を見ることが多い気がします(隠れ俺TUEEEも含めて)。
ネタバレを回避しつつもどんなストーリーなのかを簡単に調べられる時代なので、そういう点では恵まれていますよね。
以上、隠れ俺TUEEEに関する考察でした。