ラップ現象/天の導びきとその確かめ方

● ラップ現象やいわゆる座敷童が起きているのですね。

新しく家に入ったときに起きることがありますが、少しずつ減っていくことが多いです。

うちもいまの借家に引っ越してきた時、まだ息子が小さくて、2階に子供がいるといっていました。


自殺者などの浮遊霊の場合は、上にあげてあげるといいです。死んだことに気づいていないだけなので。

https://secret.ameba.jp/nijipsych/amemberentry-12535756194.html?frm=theme


憑依されやすい人が体調が悪くなっていたら、その人を通して、上のやり方で接点が持てます。

だれにも憑いていないときは、呼び出すと同じ事が伝えられます。

USPTでインナーチャイルドを呼び出すやり方とおんなじで、

「2階でさまよっている人、ここにきて」などと言う(念じる)と、来てくれて、寒気などの気配でそれがわかります。

霊といっても“人”なので、USPTのように、説得して納得してもらえると逝ってくれます。



● 主の御心は、直接啓示を受けなくても、ほとんどが聖書に書かれているので、静まって祈るとわかってきます。

だから、直接的な照らしは多くの場合、不要になってきます。

「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして」主を愛するということは、理性も駆使して主の御心を考えてよいということですので、成長するにつれて、私たちの考えたこと、理解したことが、主の御心に近づいていくのです。

『論語』にも「子曰(のたま)わく、吾十有五(じゅうゆうご)にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳従(したが)う、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。」とあるように、特別な啓示がなくても、心の欲するところがそのまま主の御心になっていくというのが、私たちの到達すべき本当に主に導かれ、主と一致した生き方なのです。

■ 天の導きについて

カール・ヒルティ『眠られぬ夜のために 第1部』 3月12日、
4月9日[何かあなたにとって有害なことが思いがけなく身に迫ってきたならば]、
5月5日、★5月17日、9月29日[困難な事件が起こったら]

『眠られぬ夜のために 第2部』 3月25日、5月29日、7月22日

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神のみこころを確かめる方法 by ジョージ・ミュラー

Wed, June 25, 2008

テーマ:祈りについて

 ジョージ・ミュラー曰く、自らの経験上、以下の6つの方法で、神のみこころを確かめることができるという。

1) みこころを求める時、私はまず自分の心が全く意思を持たないような状態になることを求める。多くの人にとって、トラブルの十分の九はまさにここにある。主のみこころがどこにあれ、私たちの心がそれに従う備えをするなら、困難の十分の九は克服されているのである。このような状態にあるなら、主のみこころが何であるかを知る一歩手前にいるのである。

2) この後、私はその結果を感情あるいはぼんやりした考えにゆだねない。もしそうするなら、大きな思い違いをすることになりやすいのである。

3) 神のみことばである聖書を通して、あるいはみことばと関連して、御霊の御思いを求める。御霊とみことばは結びつけられなければならない。もしみことばなしに御霊のみを見るなら、大きな間違いを犯すことになる。聖霊は聖書に従って導くのであって、決して聖書に反してなさることはない。

4) 次に私は神の導かれる出来事を考慮に入れる。それはみことばと御霊との関連において、神のみこころをはっきりと指し示していることがしばしばある。

5) 祈りのうちに、神にご自身のみこころを正しく示していただくことを求める。

6) このように神への祈り、みことばの学び、黙想を通して、自分の能力と知識を最大限に用いて、慎重な判断に到達する。そして、もし心が平安であり、さらに二、三度嘆願して後もそれが続くなら、その判断に従って行動する。ささいな事柄においても、重要な問題においても、私はこの方法が常に有効であることを知らされているのである。

『ジョージ・ミュラーの祈りの秘訣』

≪付 録≫

【聖書通読について】


「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです」(Ⅰペテロ2:1~3)。

 きわめて大切なことのひとつに、祈りつつ注意深く神のみことばを読み、心に留め、黙想することがあります。体が適切な食物によって成長するように、たましいも同じです。信仰の成長を願うなら、それは神のみことばによってのみ可能です。

 使徒パウロは、ある人たちが好んで言うように「ある条件のもとでは聖書を読むことも役に立ちかもしれない」と言っていません。また、「私が書いたものから益を受けるようになる」とも言っていません。ここでパウロが指しているのは神のみことばである聖書のことであって、ほかの何ものでもありません。

 ある種の本もときには有益である、という人がいるかもしれません。それに疑いをはさむつもりはありません。けれども、神の喜ばれる方法は、規則的にみことばそのものを読み、用いることです。主の弟子は聖書を読むことに専心することによって強くされ、聖書を読むことを軽んじると、信仰も弱くなっていきます。

 ときどき世話をしてもらえない赤ちゃんがいます。その子はどうなるでしょうか? 決して健康な大人には成長しません。幼いことに放置されていたからです。

 おそらく、これは一番有害な放任でしょう。子どもたちは十分な栄養が与えられず、成長するために必要な力を得ることができません。霊の生活においても同じです。信仰生活のはじめから正しい霊の食物を得ることがとても大切です。その食べ物とは「純粋な霊の乳」である神のみことばです。みことばのみが新しいいのちを強くするのにふさわしい栄養です。


【神のみこころに沿った祈りについて】

「私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです」(Ⅰヨハネ5:13~15)。

 この箇所から、祈りについてまず第一に気をつけることがわかります。願いがきかれるためには、その願いが神のみこころに沿っているかどうか確かめることです。私たちの祝福と幸福は神のきよさと深く結びついているからです。

 みなから怠け者として知られている人が、祈りについての約束を聞き「この約束を試してみよう。百万ドルくださいと神にお願いして、気楽な人生を過ごそう」と言ったらどうでしょうか。毎日こう祈ったら、答えてもらえるでしょうか。絶対に無理です。なぜでしょうか。彼が神のために使おうとして祈ったのではなく、自分で使うために願ったからです。彼の祈りは神のみこころに沿っていません。だから、どれほど熱心に長く祈ったとしても、答えてもらうことはできません。祈りの答えを期待できるのは、神のみこころに沿った願いをしたときだけです。

 二番目に気をつけなければならないことは、自分自身の益や善を頼りに願うのではなく、主イエス・キリストの御名によって祈ることです(ヨハネ14:13,14)。終わりの日に神の御前に立てるのは、主イエスにある信仰のみであるように、今、祈りによって神に近づけるのは、キリストへの信仰によるのです。祈りに答えてほしいと思うなら、イエスを信じ、よみがえられたイエスに信仰によって結びつけられ、キリストをかしらとするからだの一員とされた罪人として、神の御前に出なければなりません。

 だれも、自分を立派な善人だ、などと思うことのないように。私にふさわしいのは地獄以外にありません。神の恵みによって54年の間、私は神を畏れて歩むことが許されました。また、神の恵みによって人から後ろ指を指されたり、偽善者呼ばわりされずにすみました。それでも、私にふさわしいものと言えば、地獄以外に考えられません。地獄以外にふさわしいところはありません。兄弟姉妹のみなさんにとってもその通りです。このことが理解できるのは、本当に正しく、最もきよい人だけです。

『ジョージ・ミュラー 信仰』

【ジョージ・ミュラーの黙想法】

●SEEK GOD、OPEN!(求めよ、神。開かれる!)の原理

 ◆S(SIN=罪): 私が捨てるべき罪はないか?

 ◆E(ERROR=間違い): 私が直すべき間違いや咎はないか?

 ◆E(EXAMPLE=模範): 私が見習うべき模範はないか?

 ◆K(KNOWLEDGE=知識): 私が新たに分かるようになった知識はないか?

 ◆GOD: 神様に対して新たに分かったことは?

 ◆O(OBEDIENCE=従順): 私が従順すべきことはないか?

 ◆P(PROMISE=約束): 私に与えられた神様の約束はないか?

 ◆E(ENCOURAGEMENT=励まし): 私に励ましになったことは何か?
 
 ◆N(NOTICE=警告): 私に対する神様の警告はないか?

*ジョージ・ミュラー(1805~1898年 英国)

彼は「信仰の使徒」と呼ばれ、聖書的原則にのっとり、73年もの間、ただ神だけに信頼して、1万人もの孤児の世話をした。『聖書ハンドブック』(ヘンリー・H・ハーレイ)には次のように紹介されている。「彼は、イギリスのブリストルの孤児院で、祈りと信頼によりキリスト教史上最も目覚しい事業を成し遂げた。それは、人間的に言えば彼の成功であるが、それは聖書への彼の愛のゆえであった。彼は次のように言っている。『私が幸運にも有益な奉仕を行なうことができた最大の理由は、私が聖書を愛する者であったことである。聖書を1年に4度読むのが私の習慣であった。そして祈りのうちにそれを私の心に当てはめ、そこで発見したことを実行した。私はそれを69年間行なってきた。実に幸福なことである』」

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参考になるところがありましたら幸いです。

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