3年目を迎えるにあたって
あと数日でくも膜下出血を起こして丸2年となります。
去年ほどではないものの、発症日を迎えるのが何となく怖く、どうやり過ごそうかと考えています。
そんな今の率直な思いを綴ってみたいと思います。
家族との温度差
うちの夫は私の病気や障害を理解しようと努めてくれているし、実際、理解のある方だと思います。
それでも当事者である自分との温度差を色々なところで感じます。
数日後に控えた発症日についてもそうです。
全く不安なく発症した日を迎えられる人もいるのでしょうが、私は2度目となってもまだ怖いです。
新たな脳動脈瘤が出来ているわけではないので、再度くも膜下出血を起こすことはないと頭では理解しています。けれども心がついていきません。
去年は家族で発症日を迎えましたが、今年はどうしよう?
早い時期に「休暇が取れたら一緒にいて欲しい」と夫に頼みましたが、「確認しておくよ」と言われたままになっていました。
今月に入り再度頼んでみたところ「どうしてもその日は休めない。やっぱりまだ怖いか?」と言われました。
仕事なので休めないのは仕方がないと思いつつ、すぐに返事をもらえなかったことと、"やっぱりまだ‥"の言葉に温度差を感じました。
1人では居たくない
夫が休めないならどうしよう?
1人でいたら嫌なことばかり思い出してしまいそうだし、何となく怖い。かといって一緒にいてと頼める友人もいない。
考えた挙句、リハビリの予約をしました。
午前中は作業療法士さんのところ、午後からは理学療法士さんのところへ。移動など含めれば一日やり過ごせそうです。
今の私には"やっぱりまだ怖い"という気持ちを受け止めてもらえる場所が必要な気がします。
苦しかった一年
発症からの一年も苦しい時間でしたが、その後の一年も負けないくらい辛い時間でした。
よくわからないうちに過ぎたところもあった一年目に比べ、二年目は高次脳機能障害があるという診断を受け、手帳も交付されました。
時を追うごとに出来ないことが明らかになり、発症前にやっていたことを諦めなければならないことが出てきました。
また、一年目より外出の機会が増えたためか、嫌な思いをしたり、障害者であると実感させられる場面にも直面しました。
その度、悔しい、悲しいと涙する私を支えてくれたのは、家族とお世話になっている理学療法士さんだったと改めて思います。
支えられた言葉
回復期を退院後、療法士さんがいない状態で日常生活を過ごし、困ったことや心配ごとがあっても誰にも聞けないという状態はかなりストレスでした。
そんな時期の私を支えてくれたのは
「みどりさんなら体力次第で走れるようになるはずです」
という急性期の療法士さんの言葉でした。
当時、外出やリハビリを諦めずに済んだのは、あの言葉のおかげだったように思います。
幸い、回復期退院から2ヶ月ほどで自費リハビリへとつながり、1人で心配事を抱え込まずに済むようになりました。
ただ、当時の私には別の不安がありました。それは療法士さんにどこまで頼っていいのだろうか?という不安でした。
回復期の療法士さんは私の疑問や不安とあまり向き合ってくれないタイプの人でした。
だから自費リハビリに通っても、こんなことまで聞いていいのだろうか?こんなことまで頼んでもいいのだろうか?とよく迷っていました。
けれどもそんな不安はリハビリの数を重ねるうち徐々に薄れていきました。
ちょうど通い始めて半年が経ったころ、発病して一年となりました。
用事があったこともあり、家族と一緒に関西でその日を迎えました。
発症日の前夜、療法士さんに半年間支えて下さったお礼と、これからも頑張るための応援メッセージをいただけないかお願いをしました。
翌朝、目覚めると驚いたことに文字ではなく、メッセージ動画が届きました。
その動画の中で
「みどりさんの担当理学療法士としてこれからもサポートしていきます」
そう言って下さいました。
回復期のように毎日リハビリがある訳ではなく、当時は週に1回リハビリがあるかないかという状態でした。そして私の中では担当という肩書は入院して初めてつく、そんなイメージでした。
だから、"みどりさんの担当理学療法士として"という言葉が、嬉しく頼もしく響きました。
何かあったら頼っていいと言われた気がしました。
この"担当理学療法士として"という言葉が発症2年目の私を支えてくれた気がします。
そしてその言葉通り、"担当理学療法士として"心身ともに支えてもらったと実感しています。
2回目の発症日を間近にして
Xでは発症日を新たな誕生日として数えておられる方々がおられます。それは死と直面し、そこから生まれ変わったという感覚なのかなと思っています。
私はというと、なかなか"生まれ変わって良かった、あの時助かって良かった"という心境になれません。
けれども"あの時助からなければ良かった"と思う日は随分少なくなった気がしています。
この1年は出来なくなったことにたくさん気付かされました。
その一方で、環境の整え方や脳の疲労状態について自分でも気付けるようになりました。
出来なくなったことを出来るようにすることは無理ですが、辛くない環境作りなど工夫出来ることは増えたと思います。
断ってしまった人間関系や泣く泣く諦めたこともあります。
けれども、Xや当事者会を通して新たに築けた人間関係や、ブログを書くことなど新しく始めたこともあります。
それから理学療法士さんに加え、今年は自費の作業療法士さんと出会うことも出来ました。
これからはお二人がタッグを組んで支えて下さると思うと本当に心強いです。
残念ながら今年の発症日は家族と過ごすことは出来ませんが、午前・午後と二つの施設でリハビリをしながら過ごすことは、私にとって一歩前進なのかもしれません。
このブログのタイトルの由来とさせていただいた「リハビリの夜」の著者、熊谷晋一郎先生の"自立とは依存先を増やすこと"という言葉ではありませんが、この一年は依存先を増やすことが出来たような気がしています。
去年は発症日に先のことを考える余裕はありませんでしたが、今年は過去を振り返るだけでなく、未来のことも考えられる日に出来たらと思っています。