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揺れる想い

タイトルからある程度の年齢の方ならZARDの歌を思い出されるかもしれませんね。

病気によって感じるようになった揺れる想いについて書いてみたいと思います。


友人からの知らせ

友人から久々に連絡がきました。
娘さんが難病に罹ったのだと。
以前のような生活に戻れなくてもどかしいみたいで家族で衝突してしまうことがある。
みどりもそういうもどかしい気持ちになることある?そんな話でした。

まさに今、私が苛まれている状態です。
病気は違えども、元のような生活が送れない辛さは嫌というほどわかるつもりです。

でも、ご本人がどう受け止めているのかも知らないのに軽々しく発言することに躊躇しました。
なので、とにかく「辛い」という訴えをそのまま受け止めてあげて欲しいと伝えました。

その上で、気持ちが日々変化することもあるから
「今は何が辛いの?」
私ならそう聞いてもらえることが1番ありがたいと言いました。

まだ学生だというお嬢さん。
未来はこれからというご本人の気持ちと、それを見守らねばならない友人の気持ちを考えるといたたまれなくなりました。

一定ではないこと

痛み自体もそうですが、それに伴って自分の心も変化します。
昨日は手足の痺れがひどかったけれど、今日は肩から首にかけてが痛い。

症状の箇所や痛みの強弱にもよります。
原因や対処法の有無により不安で痛みが増す場合もあります。

そういう時に家族に軽々しく
「原因はこれじゃないか」
「薬を増やしたらどうだ」
などと言われると心配してくれているとわかっていても苛立ちを感じてしまいます。

面倒くさい自分だと思いつつ

私の場合気遣われなくても苛立ち、気遣われても苛立つというなんとも面倒くさい一面があります。

高次脳機能障害のため受診の際に夫に付き添ってもらわなければならないことがあります。

わざわざ休みをとって付き添ってもらうことは心苦しいです。
でも、病院側から付き添いを求められることがあるのです。

また求められないけれど説明がややこしい場合には「休んで付き添おうか」と言ってくれます。

それに対して「ありがとう」と素直に言える日もあります。
でもそんな気遣われなければならない状態だと思われていることに、情けなくなったり腹が立つ日もあります。

「疲れてそうだからご飯にしなくていいよ」と言われて
「そんなこと言われると自分の存在意義が感じられなくなる」
そう答えておきながら
「お昼はこれがいいな」なんてリクエストされて
「こんなに今辛いのに」とイライラしたりします。

一貫性が全くなくて一緒に暮らしている夫は大変だろう、なんて自分が原因の癖に思ったりします。
更にそういったことが続きイライラが募って八つ当たりをしてしまうことも多々あります。

そして
「こんな自分とは一緒に暮らさない方が夫は幸せなのではないか」
と勝手に思い詰め、施設に入ることを申し出たりもしてしまいます。
本当に面倒くさい人間だと自分でもつくづく嫌になります。

揺れる想い

こういう状態が自分だけなのか他の人にも当てはまるのかどうかはわかりません。

けれどもZARDの歌ではありませんが「揺れる想い身体中感じて」日々暮らしています。
感じなくて済むものなら感じたくないそう思っています。

自分の気持ちなのに何故こんなにも揺れ動くのか。
病気の前はどうだったのか思い出すこともできません。

元々そうだったと言われたら元も子もありませんが、自分で自分の気持ちを持て余すこと。
自分の気持ちなのにコントロールが効かないこと。
とてももどかしく辛いと思っています。

たまたまもらった友人からの連絡でしたが、
自分の揺れる気持ちについて言語化するきっかけとなりました。

自分のご機嫌取り

お笑い芸人ANZEN漫才のみやぞんさんが言ったとかいう
“自分の機嫌は自分でとって、人にとってもらおうとしない”
という言葉。

確かに小さな子どもでもあるまいし、自分の機嫌ぐらいは自分でコントロールしたいと思って来ました。
ところが、今現在はこれが本当に難しい。

まだしばらくは家族や周りの人に迷惑をかけそうですが、また自分のご機嫌取りを心がけられるような人になりたいとおもっています。