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「私の生き方連絡ノート」
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私の生き方連絡ノートとは
表紙に書かれている通り
“自分が受けたい医療・ケアのためのエンディングノート“ です。
葬儀や財産について書く所謂エンディングノートではなく、意思表示ができないもしもの時にどんな治療をしてほしいか、あるいはしてほしくないかを書いておくものです。
どんな風に最期を迎えたいかについて書き留めてみました。
連絡ノートを書くワークショップ
実は、生き方連絡ノート。
ワークショップに参加するのは2回目でノートも2冊目となります。(1冊目に書き加える方もいます)
1回目はくも膜下出血を起こす2年ほど前でまさか早々にそんな状態になるとも思わず参加しました。
講座の内容は1回目・2回目ほぼ変わらずで、自分のこれまでの生涯を振り返った上でどんな最期を迎えたいのかについて考えていきます。
これは自分のためのノートでもあり
残された家族のためのノートでもあるという点が素晴らしいと思います。
意識のない本人がどうして欲しいのかが分かれば、大きな選択をした家族がのちに「これで良かったのか」と後悔せずに済むと聞いてなるほどと思いました。
大切なのは普段から話し合っておくこと
一度目と大きく変わったのは私自身の気持ちです。
当たり前ですが大きな病を経たあと考える生き方、逝きかたかたは、1度目とは大きく異なりました。
ひとつは「書いておいても思った通りにはならない」ということです。
私は一冊目に「後遺症が残るような病の時は治療をしないでほしい」
と書いていました。
けれども今回のくも膜下出血において私の意志が通ることはありませんでした。
それはこのノートについてきちんと夫婦で話し合いをしていなかったことが原因です。
「書いてあるからもしもの時はみてね」ではダメなのだと悟りました。
意識が少し戻った時にノートの存在を夫に伝えましたが、
「今そんなこと言うなよ」
と取り合ってもらえませんでした。
何でもない時にノートを見てもらい
何故そうして欲しいのかをきちんと話し、相手に納得してもらうことが大事だと思いました。
内容の変化
一冊目から変わらないことは延命治療は必要ないという考えです。
治癒の見込みがないならばそれ以上の医療は望まないとしています。
2冊目ではさらに望まないことが増えています。
家族であっても施設であっても自分で身の回りのことができない状態での生活は望まないこと。
人としての尊厳が守られない状態で
生きていたくないことを記しています。
手助けのいる家族はいないため多くの治療は望まないこと。
痛みをとることだけをお願いしたいと書きました。
今回のくも膜下出血で私が1番苦痛だったことは、三大介護と言われる「食事・排泄・入浴」を人の手を借りなければならないことでした。
これが自分で出来ない状態であれば
その後の治療は望まないと書きました。
病気を受け止めること
講座を終えてみたら
「望まない」ことばかりでした。
どういう医療を受けたいかではなく、どういう状態のときに治療をやめて欲しいかそのことばかり書いていました。
ブログを書くために改めて読み返してみてこれは「生き方ノート」ではないなと思いました。
何故そう感じたのかはよくわかりません。
ただ、死ぬ瞬間まで
「どうありたいのか、どう生きたいのか」を書くノートです。
なのに
こういう状態ならば生きていたくないそればかりが書かれていました。
障害を受容できていないだけでなく
くも膜下出血を起こしたこと自体
まだ受容できていないそんな気がしました。
ノートを書き終えて
とりあえず記入は終わりましtた。
これは定期的に見直して書き直していくノートとなっています。
私の場合はこのまま一人で見返して
書き直していくことがいいのだろうか?
そんなことを考えました。
どうしたら病気のことを冷静に捉えて「生き方ノート」を書くことができるのか。
今後の「生き方」について考えていくことができるのだろうか。
もう少し時間をかけてみようと思います。