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➕Because
秋口に入ってから麻痺した左半身の痺れが酷くなり手足が突っ張るようになりました。病院で薬の調整はしてもらっていますがあまり改善はせず、痺れのひどい日に出歩くと左をかばうせいか右半身が痛むようになりました。
家の中だとさほどではないのに外を歩くと痛みが出る状態に外出を控えた方が良いかのと悩み、自費リハビリの療法士さんに相談してみました。
"例えばですが、左足の痺れや痛みが強い日はなるべく外出を控えた方が良いですか?
ここから年末にかけてちょこちょこイベントが入っているのですが、どうするのが良いのかちょっと迷っています。
日曜日は出かけて痛みは出たけれど行って良かったと気持ち的には思っています。が、身体的にはなるべく外出は控えた方が良いなどアドバイスあればお願い致します。"
週に2回リハビリに行っているのですが、口頭より文章にする方が自分の頭を整理して伝えられるので時々こうしてDMでご相談させて頂いています。
これに対して療法士さんから次のようなお返事を頂きました。
"難しいところですね。
日曜日も感じましたが、時間が経つと症状が辛くなってる様に感じました。一方、椅子などに座ることで症状の寛解もみられると思います。
また、日曜日の状態から昨日の状態へと改善もみられるので、基本的には外出を控えた方が良いとは思わないです。
ただ、
・時間
・歩く量、立つ時間、座れる環境
を踏まえて一つずつ検討するのが良いかなと思いました。
お答えになってるか分からないですが、イベントに行くことは問題ないと考えます。"
ちょうど日曜日にイベントでご一緒しており、その際の痛みの様子と翌々日のリハビリの様子を踏まえてのお返事でした。
思えば回復期でのリハビリでは質問をしたら返答は"Yes"か"No"でbecause~と説明が続くことは少なかった様な気がします。
そのせいか"なぜあの時 Noと言われたのだろう?と未だ消化出来ないことがあります。もしもきちんとした説明がなされていたならば、"No"という答えが自分の思いと違っていたとしても、どのような理由で"No"と言われたのか療法士さんの考えだけでもわかって納得できたかもしれないと思うのです。
以前にも書きましたが、回復期に移った途端に急性期で行われていた麻痺に対するリハビリがなくなったことに疑問を持ち、麻痺に対するリハビリをしないのは麻痺がもう良くならないからなのか尋ねました。その時返ってきた言葉は「まあ死ぬような病気だったんですからね」でした。
自分でもしつこいと思いながらこのことを引きずって来ました。もしこの時療法士さんがきちんと麻痺に対するリハビリを行わない理由を説明してくれたなら、私も自分の想いを伝えられたのではないだろうかと思うことがあります。
そして"死ぬような病気だったのですからね"という言葉に口を噤んでしまったことを未だに悔やんでいます。
でもこの時の悔しい思いと、今、説明をしてもらえる安堵感の両方を経験したから説明をすることの必要性を理解出来たような気がします。
リハビリにおいてだけでなく、誰かに何かを聞かれた時に何故そう判断したのかの理由を伝えることはとても大切なことだと実感しています。
自分では当たり前と思うことでも、相手にとって当たり前ではないかもしれないという前提で説明すべきなのかもしれません。
今回の療法士さんの返事のように事例を挙げた上で、何故そういう答えを出したのか、更には今後はどうしていくのが良いか具体的に説明してもらえると高次脳機能障害の私にはとてもわかりやすいです。
ただ"外出を控える必要はないですよ"とだけ言われていたら、質問の中の"体に痛みが出るのは大丈夫なのだろうか?"という私の不安は払拭されなかったと思います。
また、"外出は控えた方がいいですね"とだけ言われたとしたら、"気持ち的には行ってよかった"という想いが無視されてしまったように感じたかもしれません。
出かけたい私の気持ちと痛みが出る不安、どちらも考えた上で療法士さんが答えを出し説明をしてくれることは本当にありがたいことです。
相手の気持ちに寄り添って考え、相手に合わせて説明をすることの大切さをこのDMから学んだように思います。