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健やかなるときも、病めるときも

健やかなるときも、病めるときも
喜びのときも、悲しみのときも
富めるときも、貧しきときも
愛し敬い慈しむことを誓います

こんな言葉を結婚式で誓った方も多いのではないでしょうか?

私も随分昔にチャペルで誓いました。
その時は本気で健やかなるときも病めるときもと思っていました。

でも、"病めるとき"を具体的に想像出来ていたかといえばそうではありません。
自分が大きな病にかかり後遺症を持つ身になることなど想定もしていませんでした。

そして、私が想像し誓った病めるときもはあくまでも"相手が病めるとき"であって"自分が病めるとき"ではありませんでした。

皆さんはどうでしょうか。
ご自身が病んだときを想像して誓った方はいらっしゃいますでしょうか?

相手が病に倒れても、悲しみや苦労を共に分かち合いたい。そう思って結婚しましたし、その気持ちは今も変わらずにいます。

けれども、自分が病に倒れ後遺症を持つ身となったときに、このまま共に歩んでいいのだろうか?と考えます。

どうして結婚するときに"病むのは自分かもしれない"と思わなかったのか不思議です。

のちに自分が病に倒れ後遺症を持つ身になるとわかっていたら、
あの時私は将来を誓えただろうか?

もし今から結婚するのだとしたら、
それでも夫は私と一緒になることを選択するだろうか?
私も夫と一緒になることを選択するだろうか?
そんなことを考えます。

リアルやSNSを通じて色々な家族の形があることを知りました。

病を機に別れる家族もあれば、仕事をしながら当事者を支える家族もあります。また、障害を理解した上で結婚し、新たに作られる家族もあります。

私の中にはやはり障害はハンデであるという意識があります。
共にいてくれる夫に対して引け目を感じます。

そして、自分の存在が将来、子供たちの結婚に差し支えたりしないだろうか?そんなことも考えます。

回復期のときの言語聴覚士さんに
"障害があっても自分が障害だとは思わないで下さい"
と言われました。

それでも、自分が家族にとって障害となっていないか気になります。

自分が家族と仮定して考えた時に当事者に持って欲しい想いと、当事者として持つ想いには乖離があることを感じています。

結婚のときの誓いの言葉は"誰が病んだときか"について言及されていません。

だから私は想定もしませんでしたが、自分の身に起きた時も含めて”健やかなる時も病める時も”と誓ったのだなと改めて思っています。

私が乗り越えるべきことは、ピースが欠けてしまった自分にも、以前と変わらず相手を愛し敬い慈しむ資格があると自覚することなのかもしれません。

そしてもしかしたらそれは障害を受容することに繋がるのかもしれないと今感じています。

障害受容とは障害があることを受け入れるだけではなく、障害を負った自分自身も受け入れることなのだと思います。

麻痺や高次脳機能障害があるという事実は受け入れられているつもりです。けれど障害を負った自分自身を受け入れることは難しいです。

どうしたら今の自分を受け入れられるのか。当たり前ですがどこを探しても答えは見つかりません。自分でもがきなから探していくしかないのだろうと思っています。

ただ、病気をして後遺症を負ってなお家族がそばにいてくれるということは、共に答えを探そうとしてくれているのかもしれません。

そしてあとは一緒に探そうと差し出されたその手を掴むだけなのかもしれません。

麻痺がある左手はいざ何かを掴もうとするとイメージがつかず、強く握ることが難しいです。
リハビリを重ねてしっかりとものを握れるようになる頃に、もしかしたら差し出してくれる夫の手もしっかり掴めるのかもしれないと思いました。