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当たり前なんて思っていない

何かで障害者が話題になると
「障害者はやってもらって当たり前と思っている」
「自分たちの税金で暮らしているのに」
そんな声を耳にします。

その度に私は反発を覚えます。
だれも当たり前だなんて思っていないと。

Xで当事者の方たちと交流して感じます。

みんな働こうと必死です。
自分のことは自分でできる様に
リハビリに必死です。

どうしてか。
人の世話になっていたいと
思っていないからではないでしょうか。

くも膜下出血で倒れ
気がつけば病院でした。

おむつを替えてもらい、ご飯を食べさせてもらい
お風呂にいれてもらう。

それがどんなに辛いことか
経験しないとわからないことかもしれません。

車椅子で電車の乗り降りの介助をしてもらうことや
優先席で座れることは

障害者が社会で活動するために
人の手を出来るだけ借りずに外出するために
必要なことだと思います。

でも、だれも
席を譲ってもらうこと
車椅子を押してもらうことを
当たり前だと感じてはいないと思います。

むしろ何かをしてもらうことが
当たり前と思えたら
どんなに楽だろうと思います。

席を譲ってもらえたら
体は楽になります。

譲ってもらえることこと自体は
とても嬉しいです。

けれど、その一方で
譲られる立場である苦しみを抱えていることを
知ってもらえたらと思います。

ちょっと前までは
人に譲ってあげる立場であり
譲ってあげられる身体でした。

そちらの側にどれだけ留まっていたかったか
わかってもらいたいです。

経済面でも生活面でも
家族や公的機関に援助されなければ生きられない
それを心苦しく思わない人はいるのでしょうか?

少しでも自分で出来ることはやりたい
だからみんなリハビリに必死です。
働こうと必死です。

街中で心無い言葉をかけられることがあります。
そういう人は、人に何かをできる喜びを感じないのでしょか?

自分が何かしてあげられる健康な身体であったならば
席や道を譲るなんて何でもないことで
喜んでするのにと思います。

手助けをしてもらうこと。
それはとても有り難く嬉しいことです。

でも、当たり前だなんて思っておらず
心の中で痛みも感じていることを
わかってもらいたいです。

そしてそこに心無い言葉を投げかけて
傷口に塩を塗るようなことは
しないでもらえたらと思います。