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「知識」はものをよく見るためのメガネです
名古屋城に行きました。築城を指示したのは徳川家康さんで、1612年に天守閣が完成したそうです。当時は大阪に豊臣秀頼さんがいましたので、勢力を抑えるお目付けとしての意味が大きかった、と学芸員さんが言っていました。
私はかつて、岐阜県高山市の陣屋を訪ねたことがあります。幕府直轄の役所みたいなもので、裁判所と行政のしくみが合わさったような場所です。見学で興味深かったのは、玄関が役所部分だけで7ヶ所もあったことです。え?でうして?と思いました。なんと、身分によって出入りする場所が決められていたそうです。江戸幕府の建物を見ると、厳しい身分制度が見えてくるわけです。
名古屋城も、厳しい身分制度が伝わる建物でした。
さて、次の三つの部屋ですが、身分が高い人が使える部屋から順番に並び替えると、どうでしょうか?
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逆光や部屋の画角が違っているのはすみません…。取れる方向が一定ではないので、こうなってしまいました。
Aの部屋には、大きく松が描かれています。それに、一段高くなっていますね。金箔もまぶしい限りです。この部屋は「表書院」といって、藩主が使える部屋だったそうです。つまり、「身分が上の人」が使える部屋でした。
Bの部屋には、梅が大きく描かれています。金箔もありますが、表書院に比べると、今一つですね。ここはその名も「梅の間」将軍をもてなす尾張上級家臣の控室だったそうです。つまり、「身分が上の人と会える人」が使える部屋でした。
Cの部屋には、鶴の装飾が施された欄間がはめこまれています。そのほかの装飾も豪華絢爛ですね。さらに、奥は一段高くなっています。ここは、「上洛室」といって、将軍のために作られた部屋です。つまり、「一番偉い人」が使える部屋でした。
つまり正解は、身分の高い順にC→A→Bというわけですね。
松竹梅というように、植物でも身分がはっきりわかるように部屋が作られています。ここまでわけるのか!というくらい、分けています。しかし、一つだけ、当時を再現しきれないものがありました。さて、なんでしょう?
正解は、畳です。全ての部屋で、現在の名古屋城では同じ畳が使われていました。この畳は戦争で焼失する前に現存していた「身分が上の人と会える人」が使っていた部屋の畳だったそうです。他の畳は、もう残っていなかった、ということだそうです。
ですから、将軍の部屋にも、名古屋城では最も低いレベルの畳が使われている、ということなのです。そういわれると、畳だけはミスマッチな感じがします。江戸時代、将軍様はどんな畳を使っていたのか…想像するだけで面白いですね。
こうしてたくさんの気づきがあったのも、高山の陣屋で得た知識があったからです。知識はものをよりよくみるためのメガネになる、ということを改めて実感したのでした。
三浦健太朗