テレビに引き続き
私は新聞について書こうと思います。
私は新聞記者や、元新聞記者の方と知り合いがいて、よく話を聞きます。
新聞も、なおやさんが書いたテレビも、構図はほとんど同じ。
スポンサーの悪口は書きません。
だから、報道を担っているところが外部から援助を受けている、その時点で世の中は不平等なのだと感じます。
NHKにもタブーがたくさんあります。
それを知って、メディアとの付き合い方を考えていく必要があります。
【新聞は記事で伝える】
みなさんもよく知っているかと思いますが、新聞記事の構成はよく逆三角形になっていると言われています。
つまり、「いつ・どこで・だれが・何をして・どうなった」という大事なことが記事のはじめにきています。
朝、時間がない人でも、すぐに大事なことを理解できるように、という配慮がある、ということかな、と思います。
しかし、本当はそうではありません。
実は、整理部という新聞の紙面をレイアウトする人たちがいて、構成上後ろの方をカットできるようになっているというわけです。
見出しをつける人も整理部。
記事を書いた人が見出しをつける、と勝手に思い込んでいましたが、そうではないのですね。
【警察と仲良し】
基本的に、前線で記事を書く新聞記者は、一日に何度も警察署に行きます。
他の新聞に、重要な事件や事故が書いてあるのに、自分の新聞には書いていない、となったら信頼が落ちてしまうからです。
だから、新聞記者は警察の人たちと仲良くなろうとします。
そして、自分にしか来ないような情報を聞き出そうとします。
そのために、匿名で寄せられた自分しか知らないような情報を警察に伝えていきます。
つまり、お互いが互恵的な関係になっているのですね。
悪く言えば、ずぶずぶの関係です。
スポンサーを批判できないテレビと同じように、新聞には警察を批判することはタブー視されているのです。
【他にもタブーだらけ】
新聞には、スポンサーの他にも、タブーがたくさんあります。
桜・荊・菊・芸能プロダクション・記者クラブ・財政楽観視タブーなどです。
ここで詳細を書くのは重すぎるのでしません。
もし、興味がある人は調べてみてください。
【メディアリテラシーの重要性】
新聞は公平・中立を建前上は装っています。
だから、事実のみを書くようにしているわけです。
例えば、「全国学力テスト、読書する子ほど高得点」という見出しがありました。
「へーっ」
と思ってうのみにしてはいけません。
心の中で、つっこんでください。
「本当にそう言えるのか?」
「読書するような環境の家庭で育ったから、子どもも高得点なのではないか?」
「因果関係があるような書き方だが、本当にそう言えるのか?」
「学力が高いような、学習に興味がある子だから、読書も好きなだけではないか?」
特に今、私は研究員をしていて検証の大変さに毎日苦しめられています。
だから、因果関係を証明することの難しさを知っているわけです。そう簡単に、因果関係は証明できるものではありません。
興味を引くような書き方に、惑わされてはいけません。
特に、
「読書する子ほど、頭が良くなるんだってよ」
という無責任な情報の伝達者にならない方がいいと思います。
むしろ、
「本当なのかな?」
と話題にできる方が、よいメディアリテラシーの持ち主です。
最近、ネットメディアの台頭で、新聞やテレビの力は、前ほどではなくなりました。
メディアとの関係が前より難しい今、受け取る側の私たちに、責任のバトンがあります。
事件でも、加害者の実名は出ない。
でも、被害者の実名が出て、住所や行動、近所の評判などがメディアに出ますよね。
これって、本当にいいのでしょうか?
ということなど、常にアンテナを張っていくこと。
メディアとの付き合い方、考えていきましょう。
【新聞の価値】
新聞は文章で伝えられます。
私は、書くことも読むことも好きです。
テレビと違って、新聞は自分の興味がある見出しから、順番に選べることが良さだと思います。
そして、文章には、人を感動させるか力があります。
一枚の写真には、人を魅了する力があります。
私が好きなのは、各紙の論説です。
ここは、記者が私的に思っていることを書ける数少ない場所です。
よくこんなに豊かな視点で、毎日書けるものだと関心の連続です。
新聞にはできないことがある。
でも、新聞にしかできないこともある。
良さと悪さを知りながら、メディアと付き合っていきたいと思います。