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幼稚園教育から見る教育永遠のテーマ「任せる?」「指導?」

先日、オンラインで大学附属幼稚園の公開研に出席した。

2週間ほど前に動画がアップされ、指導の様子を見てからの協議会だった。

動画では、年長さんが年少さんに大きな段ボールで作った電車ごっこをして楽しませる、という目標に向かって制作している様子が見られた。

実際に、電車に乗る体験をしたり、車掌さんに話を聞いたりして、電車へのあこがれをつのらせていく。

なんてすばらしい。

教えるのではなく、子どもがしたい方向を作っていく指導。

これは、小学校でも、中学校も同じだと感じた。


実際に、電車づくりの作業に入った。

自分よりも背が高い電車づくりに子どもたちは夢中になっていた。

体験をもとに、レールや、駅、踏切までも、子どもたちは分担して作っていった。

幼稚園児、すげえ。


電車が好きで、こだわりの強いA君。

自分の思いが優先され、周囲の子たちと衝突が絶えない。

幼稚園の先生は、その様子を見て、どうしたものかと悩んでいた。

体調を壊し、A君が休んだ日を見計らって、先生はクラスの子どもたちに、こう尋ねた。

「電車づくりが進まないのは、A君が悪いのかな?」

すると、子どもたちは、

「ちがうよ。A君は一生懸命なんだよ」

「一緒にやろうよ、ってもっと言った方がいい」

「もっと気持ちを聞いてあげたい」

声が一斉に上がった。

もちろん、なかにはぼんやり座っているだけの子もいたが、全体的に、A君をフォローしようという空気に包まれた。

幼稚園児、すっげえ。

なんて純真なのか。

A君に寄り添おうとする心。

そして、先生の問いかけに、精一杯答えようとする心。

これだけ純真なのか。

だからこそ、幼稚園時期における教育の投資が最も効率が良い、というのがわかる気がした。

まさに、なんでも受け入れてやろう、という心なのだ。

その後、何度か衝突を繰り返すも、A君は自分のしたいことをして、周囲の子は受け入れようと声をかけ続けた。


幼稚園の先生たちは、こう言っていた。

「私たちも、悩んでいるんです。こういう子どもの自由な意思の中で行われる教育が必要なのか、それとも、管理統制の中で育まれる認知能力が必要なのか。」

私は思った。

幼稚園だからとか、小学校だからとかではないのだと。

これは教育に向き合う人間の、永遠の問いなのだと。

任せるのか。指導するのか。

このバランスは本当に難しい。

だからこそ、幼稚園と必死に向き合っている先生たちに拍手。

「ありがとう」と、心から伝えたい。
                 三浦健太朗

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