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「MARCH以下は人権ない」の炎上について
今回は、今話題の「MARCH以下は人権ない」について考えていこうと思う。
言葉だけを切り取って考えれば、許されない発言であることは言うまでもない。しかし、その言葉の奥には、彼女がやろうとしていることがこのインタビュー記事を通して見えてきたので共有したい。
そもそも、このような発言をSNS上でしたらどうなるか落ち着いて考えなければならない。炎上しないわけないだろう。そこの想像力に乏しかったのかなと思う。それは発言者のゆいにゃんさんは反省しなければならない。
そして、その発言の裏には「生きづらさ」があったと告白。世の中を変えたい、このような熱い思いを受け入れてくれる人もいた一方、そうではない人も一定数いてそれが気を滅入らせる原因になったようだ。つまり多様性を認めない社会が彼女を苦しめていったと言えるだろう。
これは大人の例であるが、なぜ日本社会は同調圧力が強いのだろうか?そして、「もっとこうあるべき」と主張したらなぜ叩かれないといけないのか?このような風潮がこのような「MARCH以下は人権ない」と言った過激な言動を生み出しているんだと我々は自覚しなければならない。
学校に行きたくない、その理由は従来の学校制度に合わないから、いいじゃんそれで。タツローさんの言葉を使わせて頂くと、「ご飯食べない人を不ご飯と言わない、電車に乗らない人を不電車とも言わない、でもなぜ学校に行かない人は不登校と言われなければならないんだろうか。」そんな決まり誰が作ったのか?学校に行くのが偉い?自分の感情を押し殺して何も主張できない学校生活、そんなの何が楽しい?何が面白い?意見言いたい人が萎縮してしまう空間、それは心理的安定性が低いと言わなければならない。この事例を受けて、すべての学校で自由に意見が言える環境が整っているのか見直す必要があるだろう。
ゆいにゃんさんの発言はやはり許されないものはあるが、この裏にあった背景は共感できるものがあったので発信させて頂きました。