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授業名人の板書から考える理想の教師像

黒板


黒板は明治時代に学制が始まって以来、使い続けられている教具と言える
これほど使い続けられる理由は、やはり非常に効果的であるということだろう
授業で教科書を使わない人はいるが、黒板を使わない人を見たことがない
板書が授業を構成する大切な要素であることは間違いなさそうだ


板書の機能


板書する意味は何だろうか?
子どもから出てきたアイディアをまとめられる
大切な知識を明示する
授業の流れを残しておける
問題点をはっきりさせる
情報を共有化する
授業内容を構造化する
などなど、授業になくてはならない要素が多々ある


板書の弱点


板書をする時には子どもに背を向けてしまうことが多い
授業時間は決まっているため、子供の話を聞きながら板書することになる
がんばって体を子どもに向けるも、よくて黒板に3子どもに7くらいだろうか
TOSSの研修に出たとき、向山洋一氏は、子供の方を向きながら、全く黒板を見ないで後ろ向きのまま板書に書くのが上手だった、という話を聞いた
それだけ、子供の話を教師がきちんと聞くことが大切であるというよい例であろう
向山氏は黒板をきれいに書くことよりも、目の前の子どもの事実を重要視した、ということになる


「俺は、板書はできない」


先日、元筑波大学付属小学校で、現在「授業・人塾」を運営されている田中博史先生の勉強会に参加した
これまで何度も田中先生の算数の授業を見せていただいたが、子供が前のめりになる授業をする先生だ
すごいとしか言いようがない
子どもが夢中になって授業に向かうのである
まさに名人
そんな彼に板書のことを質問しようとすると、すぐに、
「僕は、板書はできない」
とすぐに言われた
事実、授業中、田中博史先生は、板書はしている
でも、絶対に子どもの話を背中で聞くことはしない
100%、子供の話を聞くのである
板書する重要性も知っているが、それ以上に子どもの言っていることと正対することを選択した授業を確立したのだ
名人が授業というものを考えたときに行きついた、究極のスタイルだと思う


板書を使って子どもの意見を引き出す


反対に、筑波大学附属小学校の道徳、加藤先生は、構造的な板書を生かして、子供の発言を引き出す
それが実にうまい
この前の道徳の授業では、「個性とはなにか?」についての授業だった
その際、加藤先生は、個性に関する板書の線を様々な色のチョークで書いていた
この板書がきっかけになり、子供から、
「個性にはいろいろな色があってもいい。多様でよい」
「周囲の人の個性の色が混ざって、自分の個性になっていく」
という発言を引き出していた
まさに、構造的な板書が、子供の多様な意見を引き出しているのである
有能なファシリテーターとして、黒板の機能を利用しているのである


授業が楽しくなる板書


亡くなっても今なお教育界に大きな影響を与え続ける有田和正先生
有田先生の板書は、ユーモラスである
梅雨時期の6月は、6をカタツムリに似せて黒板に書く
大胆なのはサトウキビの実物を、板書の一部として黒板に掲示してしまうというもの
学びたい教材そのものが、板書の一部になってしまう
眺めているだけで楽しい
ユーモア教育を推し進めた有田先生たる板書である
字も実に大きく、見やすい
子どもをワクワクさせるために、黒板の機能を使っている

あなたはどうする?


さて、ここまでこの投稿を読んで、どう感じたのであろうか
子供の意見を聞ききるのか、板書に徹しきるのか
それとも、楽しませてしまうのか

それは、先生の授業スタイルであり、何を重要視するか、というメッセージでもある
板書を一つのきっかけにして、授業を、そして自分という教師のあり方を考えてみるのも楽しい

                    三浦健太朗

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