【第594回】ウクライナ避難民支援最前線、知られざる現場(2024/08/26) #山田太郎のさんちゃんねる【文字起こし】
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発言者:
(山田さん) 山田太郎 参議院議員
(小寺さん) 小寺直子 山田さんの秘書
今日の内容
(山田さん)
はい、始まりました。山田太郎のさんちゃんねるです。今日は臨時特番ということで、海外視察ルーマニア・モルドバ編ということで、ウクライナの国境付近まで行ってきました。
特に、今回ウクライナから逃げてきた避難民の人たち、その子供たちに対する支援がどうあるべきなのか、どのようなことが行われているのか、あるいは日本は何をするべきなのか、こういったことを中心に、視察で私が見てきたもの、それから感じてきたものを今日はしっかりお伝えしていきたいと思っています。よろしくお願いします。
(山田さん)
さて、今回は8月17日から8月21日までルーマニアとモルドバに行ってきました。ルーマニアもウクライナ国境付近まで行きましたし、モルドバはまさにウクライナ国境と接しているという場所です。目的としては、ウクライナ周辺に避難している避難民の方々の実状、現状を知りたい。
特に今回は、緊急事態における教育、避難してきた子供たちが教育を受けられない状況について詳しく説明しますが、実はルーマニアとウクライナでは言語がかなり異なります。ウクライナ語は基本的にロシア語に近いスラブ系の言語ですが、ルーマニア語はラテン系でイタリア語に近い言語です。そのため、言葉が通じない中で子供たちをどう支援していくのか、その教育のあり方が重要だということになります。
それから、人道支援については、政府も行っていますが、やはりそこで頑張っているNPO・NGOの役割が非常に大きい。その活動内容についても見てきましたので、そのあり方も含めて議論できればと思っています。
今回はルーマニア・モルドバに一緒に行った矢倉参議院議員、財務副大臣でもありますが、彼とともに現地を視察してきました。特に今回はセーブ・ザ・チルドレンの支援も受けながら、現場を見てきました。まず概観としてはこういう目的で行きましたが、最初に感想を、どうでしょうか?
(小寺さん)
今回、このウクライナのような緊急事態にある国を訪れるのは私にとって初めての経験でした。これまでの視察とは全く異なる現状を肌で感じることができました。
特に、ウクライナの方々が国境を越えてルーマニアに入ってきたその同じ道をたどる形で視察を行いました。その際、彼らがどのような感情でこの道を通っていたのかを考えながら、ずっと道を辿っていました。
やはり、そういった現場を直接見ることで、リアリティがこれまでとは全く違った形で肌に伝わり、本当に実感することができました。
(山田さん)
地図を見ながら、もう一度どんな場所を訪れたかを確認します。南の方に黒海があり、地図の中央がウクライナ。そのウクライナの南西部に位置するのがルーマニアとモルドバです。
(山田さん)
今回の視察では、まずブカレスト(ルーマニアの首都)に入り、その後、モルドバのキシナウ(モルドバの首都)に向かいました。キシナウでは、Institute Mother & Childやパペット劇場、子供の教育支援、就学前の発達支援センター、EduTechラボ、UNICEFのモルドバ事務所、日本大使館のモルドバ大使との会議など、さまざまな場所を訪問しました。
一方、ルーマニアについては、特にチャウシェスク政権の影響が非常に大きくて、ウクライナの問題だけでなく、ストリートチルドレンの問題など、ルーマニアの現代史を語る上で欠かせない存在です。
そのため、革命と革命後の話、ユースセンター、学校でのサマースクール、カウンセリングハブ、デイ・ケアセンターなども視察しました。また、ウクライナとルーマニアの国境が接するイサクチャや、トゥルチャでの学校支援など、国境周辺を見て回りました。
特に、国境から逃れてきた人々がどの辺りで支援を求めているのかについてですが、ウクライナは大きな国で、日本の1.6倍の広さがあります。人口は約3,800万人で、日本の約4分の1ですが、国土は日本よりも広大で、東西の距離は3,000km以上あります。
特に南東部でロシア軍によって占領されている地域が多く、クリミア半島も占領されています。特に激戦地となっているのがハルキウからドニプロ、オデーサ周辺です。この地域では非常に厳しい戦闘が続いており、ロシアとの国境付近では日々状況が変わっています。
(山田さん)
この辺りから逃れてくる人たちから見ると、一番近いのはモルドバまたはルーマニアということになります。その他の人たちは、まだ戦闘地域ではないキーウやリヴィウといった国内に避難するか、あるいはポーランドの方に逃げていきます。基本的にはポーランドの方がスラブ系言語に近いため、その後の生活という意味では楽ですが、ルーマニアには先ほど述べたように言語の問題があります。
しかし一番近い逃げ道となるため、ここに逃げてきた人たちの支援は非常に大変な状況になっているということで、トゥルチャやコンスタンツァ、そしてキシナウに行ってきましたので、この辺りをしっかり見ていきたいと思います。
ルーマニアについて
さて、まず内容に入る前に、そもそもルーマニアとはどんな国なのかを確認しておきたいと思います。ルーマニアはかつてソ連圏、つまりロシアの影響下にありましたが、現在はロシアから離れてEUに加盟していて、EU内では一定の影響力を持っているとされています。人口は約1900万人が住んでおり、ルーマニアは欧州議会で第6位の議席数を持っているため、EUの中でも影響力のある国です。
(山田さん)
ルーマニアは東欧の国でありながら、西側志向が強い地域でもあります。チャウシェスク時代も、東側諸国の中でありながらソ連に対して物申す国であり、チェコへの侵攻に対しても堂々と批判を行っていました。また、西ドイツとも国交を樹立するなど、独自の外交路線を歩んできた国でもあり、元々EU志向が強かったと言われています。
(小寺さん)
チャウシェスク時代から北朝鮮の影響をかなり受けていて、その頃から反露感情がかなり強かったというお話も大使がされていました。
(山田さん)
そう、(チャウシェスク大統領が)中国に行った際に、北朝鮮にも寄って、北朝鮮の王朝風の建物を見て感激し、その後「国民の館」という建物を作ったという経緯があります。
元々、ルーマニアのチャウシェスク大統領は旧モスクワ派と言われる人たちを排除して、自分たちが政権を担うという背景がありました。そのため、ソ連の中枢とは相容れない部分があり、ルーマニア共産党が形成されたという歴史的な背景があります。これ以上話を続けると長くなるので、この辺りの話はまた別の機会にしたいと思います。
軍事的には、NATOからのイージスアショアが配備されたりするなど、ルーマニアは独自の防衛政策を進めており、ウクライナと国境を接しているため、非常に緊張状態にあると言ってもいいでしょう。
経済に関しては、ウクライナに続く穀倉地帯ということで、農業国家でもありますが、IT分野などでの経済成長が著しく、ルーマニアのGDPの50%ほどがサービス業によるものです。また、世界的なアウトソーシングの分野では、1位が中国、2位がインド、そして3位がルーマニアとなっています。これにより、ルーマニアはあまり知られていませんが、世界のIT業界において重要な地位を占めています。
また、対日感情も非常に良好で、日本とのODA関係もあり、良い関係が築かれています。さらに、日本文化、特に漫画やアニメが非常に人気で、「ナルト」や「ワンピース」の話を子供たちがしていました。日本語学習も進んでおり、ルーマニアでは日本に対する関心が非常に高いと言えます。
(小寺さん)
私、Uberに3回乗ったんですが、そのうちの2回、最初にUberに乗るときに自分の名前を言わなければならないので「ナオコ」と言うと、「日本出身か?」と聞かれました。「そうだ」と答えると、ドライバーの方が自分がいかにアニメ好きか、どんなコスプレをしたかなどをたくさん話してくれました。また週に1回、日本料理レストランで漫画フェスティバルを開催していて、それが大人気で、とても楽しんでいる、日本人に会えて嬉しいということを2人もおっしゃってくださいました。本当に対日感情が良いと感じました。
(山田さん)
逆に言うと、漫画やアニメの影響力は、下手な外交よりもはるかに強いということを強く感じました。
さて、もう一つルーマニアを考える上で、ルーマニアの近代史についても少し押さえておく必要があると思います。特に、チャウシェスク大統領の存在は、今でも大きな影響力を持っています。彼は独裁を敷いたことで有名ですが、同時に独自の外交路線も展開しました。
1967年から西側諸国と国交を樹立し、特に西ドイツとの関係を強化しました。1968年にはプラハの春があり、チェコスロバキアがソ連の介入を受けましたが、その際、チャウシェスクは介入に対して激しく非難しました。
また、同年にはアメリカのニクソン大統領をルーマニアに招き、様々な話し合いが行われました。その後、1971年にチャウシェスク自身が中国を訪問し、同時に北朝鮮にも訪れました。彼が中国に訪問した際、ニクソンからの親書を携えていたのではないかと言われており、翌年の1972年に米中が国交を回復しました。この米中間の雪解けムードを演出したのがチャウシェスクだという説もあります。
外交面では評価が高かったチャウシェスクですが、その内政は非常に問題がありました。たとえば、彼が建設した「国民の館」当時の金額で40億ユーロ、現在の価値で約6800億円もの費用がかかりました。チャウシェスクのための部屋や演説を行う場所、さらには彼の声が反響するように設計されたホールなど、まるでお城のような建物でした。この建設には25万人が動員され、街の20%が破壊され、5万人の犠牲者が出たと言われています。
(山田さん)
「国民の館」は世界で3番目に大きい公的建物で、1100室もあるこの建物の中を歩いてみましたが、巨大なシャンデリアやさまざまな部屋があり、歩き疲れてしまうほどでした。
それからもう一つ、チャウシェスク政権時代の旧共産党本部にも行ってきました。ここは1989年12月21日に、チャウシェスクが演説を行った場所として歴史的に有名です。当時、ベルリンの壁崩壊などが起こり、東側諸国が次々と解放されていく中で、危機感を持ったチャウセスクは国民を鼓舞するために演説を始めました。しかし、この演説中に反乱が起こり、チャウシェスクを打倒しようとする声が上がり始めました。
その時に国民に対して発砲が行われました。この発砲を行ったのは、セクリターテという秘密警察で、当時の国防大臣はこれに反発し、反旗を翻すんですが、結局その国防大臣も殺害されました。この事件をきっかけに、国軍が「こんな大統領を支持できない」と反旗を翻し、国軍とセクリターテとの戦い、つまり国内内戦のような状況になりました。
最終的に、1989年12月25日、チャウシェスクは旧共産党本部の屋上からヘリコプターで脱出を図りましたが、パイロットも匿った先も反チャウシェスク派だったため、彼は捕らえられ、即座に軍事法廷にかけられて死刑判決を受け、処刑されました。こうして、チャウシェスク政権は終焉を迎えました。
チャウシェスク政権の悪業は多岐にわたりますが、特に子供に関する問題に絞ってお話しします。チャウシェスク政権時代、彼は「子供をたくさん生むように」と命じ、中絶や避妊をすべて禁止しました。その結果、1967年から1969年にかけて、驚異的な勢いで子供たちが生まれました。しかし、1989年の革命によってチャウシェスク政権が崩壊すると、これらの子供たちを保護する人々がいなくなり、一気に17万人もの孤児が生まれてしまいました。
これにより、「マンホール族」と呼ばれる、マンホールの中で生活する子供たちが増えました。ルーマニアの冬は非常に厳しく、居場所を失った子供たちは(地上よりは暖かい)マンホールの中に身を潜めるようになったのです。また、国際養子縁組が盛んに行われましたが、これが子供の誘拐や人身売買に繋がる問題も発生しました。
このような問題に対して、セーブ・ザ・チルドレンなどのNGOが子供たちの支援に立ち上がりました。特に、「チャウシェスクの子供たち」の問題は大きな社会問題となり、ルーマニアにおける光と影の象徴とされています。ウクライナ支援の話もありますが、同時にこのようなルーマニアの過去の影の部分、特にチャウシェスクの子供たちに対する支援についても大きな議論となっています。
さて、次にウクライナ情勢に対するルーマニアの対応について簡単に見ていきたいと思います。ルーマニアを含む東欧地域は非常に複雑な歴史を持っています。
もともとルーマニアの一部だったモルドバがソ連に併合されたことなど、歴史的な反ロシア感情が強い地域でもあります。また、オスマン帝国がかつてこの地域を支配していたこともあり、複数の国々がこの地域を支配してきました。最近では、そうした歴史的背景から反ロシア感情が非常に強い地域でもあります。
そして言語的には、ルーマニア語はラテン語系ですので、ウクライナやロシアのようなスラブ語系とは異なります。また、ルーマニアは天然資源が豊富で、チャウシェスク政権が独自外交を展開できた背景にも、天然ガスや石油が存在していたことが挙げられます。これにより、ルーマニアは経済発展を遂げましたが、人材不足を補うために多くの子供を生ませたという話もあります。
ルーマニアはこうした背景から、今回のウクライナ戦争においても、ルーマニアは反ロシアの立場を明確にしつつ、ウクライナを支援しています。
(山田さん)
ウクライナ侵攻が始まったのは2022年2月24日で、南部やロシアと接する部分が侵攻されました。クリミア半島は早い段階からロシアが支配を進めており、その理由としては、ウクライナにいるロシア系住民が差別や迫害を受けているとし、それを助けるという名目で侵攻が始まりました。
南部の戦闘は非常に激しく、ハルキウやドネツク地域、クリミア半島の北に位置するヘルソンなどが戦場となりました。オデッサ(オデーサ)は黒海に面した重要な港湾都市であり、トルコのイスタンブールを経由して、ウクライナの輸出入が行われる拠点です。オデッサ(オデーサ)はロシア軍に強く抵抗し、一時的に排除には成功しましたが、ミサイル攻撃によって大きな被害を受けました。隣接するヘルソンも一時的にロシアの支配下に置かれました。
(山田さん)
今回私たちが会った人々の中にも、オデッサ(オデーサ)やヘルソンから逃れてきた人たちが多くいました。現在、ウクライナでは徴兵制が行われており、成人男性は全員兵役に就いているため、家族がウクライナでは生きていけない状況にあります。そのため、モルドバやルーマニアなど近隣諸国に逃れてくる人々が多いのです。特に、南部の激戦地から逃れてくる人々は、地理的にモルドバやルーマニアに避難するケースが多いという状況です。
(小寺さん)
ウクライナではほとんどの方が車を持っているそうで、オデッサ(オデーサ)から車で直接来れる、荷物を1時間でまとめて車で逃げてきたというような方々もたくさんいました。
(山田さん)
最近では少しウクライナ側が盛り返しており、ロシア領に対しても攻勢をかけているという報道も聞いています。しかし、いずれにしてもロシアとの国境は非常に厳しい状態が続いており、破壊し尽くされた街も非常に多い状況です。
(山田さん)
ロシア軍の死傷者については諸説ありますが、12万人や18万人、もしくは50万人という推計もあります。ウクライナ軍は死亡者約7万人、また、ウクライナ市民の死者数は1万人以上とされ、被害は非常に大きなものとなっています。
日本政府によるウクライナ支援
(山田さん)
こうした状況の中で、日本もさまざまな支援を行っています。人道支援としては、令和4年度に280億円の補正予算が組まれましたが、これは他国と比較すると少ない金額です。令和5年度も200億円の支援が補正予算で組まれており、毎年食料支援や復興支援が行われています。
(山田さん)
復興に関しては、世界銀行が非常に重要な役割を果たしており、担保を提供する形で復興支援が進められています。私自身も、ルワンダで開催されたIPUの国際会議で、ウクライナの議員から直接支援の要請を受けました。
冬季に電力が途絶えることに対応するためのジェネレーターが必要とのことで、私はすぐさま動いて日本からジェネレーターがウクライナに無事届けられ、私自身も議員外交として小さな支援ではありますが、ウクライナ支援に取り組んできました。
支援にはさまざまな形がありますが、現場で具体的な支援を行うのはやはり人です。その意味で、NPOやNGOの役割は非常に大きいです。日本では、ジャパン・プラットフォームという緊急人道支援のための仕組みが2000年に設立され、個人や企業、NGOが対等なパートナーシップのもとで政府と協力し、資金提供やボランティア活動など、さまざまな形で支援を行っています。
(小寺さん)
今回はこのジャパンプラットフォームから拠出しているプロジェクトを、実際に見てきました。
(山田さん)
いろいろな形でどのような支援が行われているのか、あまり日本では知られていませんので、この辺りについてもこの後少し詳しく説明していきたいと思っています。
一方で、日本からの支援プロジェクトとして、ECW(教育を後回しにできない基金)というプロジェクトがあります。これは2023年に始まったばかりで、2016年にイスタンブールで開催された国連の世界人道サミットで設立された基金です。これについて、簡単に説明をお願いします。
(小寺さん)
世界各国がこの基金に拠出し、人道支援の一環として教育に割り振っていました。日本もこれまでに諸外国から何度か加盟するように求められていましたが、令和5年(2023年)に初めて補正予算で拠出を行いました。金額はわずか4億円ですが、今回それがモルドバやルーマニアでも実際に使われています。
(山田さん)
そうですね、ちょっと後でも話そうと思ったんですが、日本はなかなかこうした支援に対して人も出さないし、資金も出さないという現状があります。特に民間からの資金が集まりにくいのは、寄付文化が根付いていないためでして、政府が主導で何かをする場合も、限られた予算しかないという状況です。
こうした状況の中で、日本の国際的貢献が問われるわけです。特に、このような事態が起こったときに何ができるのかが本当に重要になります。口ではウクライナへの支援や国際人道支援を語る議員も多いですが、実際に現場を見てみないと、何ができるのか、何をすべきなのかが非常に分かりにくい部分もあります。そうした点をしっかり見てきたと思っています。
(小寺さん)
まだまだ予算は少ないとは言いつつも、アメリカ、EU、ドイツ、英国に続いて、日本は5番目の金額を拠出しています。ただし、国民として自分たちのお金がどのように海外の人道支援に使われているのかを知る機会はなかなかないと思います。今回、私たちも現地を視察させていただきましたが、このように実際の支援活動を知る機会は非常に重要だと思っています。
(山田さん)
次に、ジャパンプラットフォームがどのようなところに資金を使っているのかを見ていきたいと思います。これを通じて、世界的にどのような課題があるのかも分かりやすくなると思いますので、少しこの円グラフを見ていきましょう。
(山田さん)
まず、ジャパンプラットフォームの資金のうち、ウクライナに対する人道支援が約2割を占めています。それから、トルコの地震に対する支援や、食料危機が起こっている地域への支援、さらにイラクやシリアの人道支援、そして現在進行中のガザ地域での戦闘に対する支援があります。また、ミャンマーやアフガニスタン、南スーダンといった紛争地域への人道支援にも資金が使われています。
(小寺さん)
61億を世界中で分けるとやはり1国ずつにはわずかながらの支援というのが現状です。
(山田さん)
地図上で見てみると、ジャパンプラットフォームは日本国内でもお世話になっていることがわかります。たとえば、東日本や能登半島の地震、または水害や台風などの災害対応においても、単にお金だけでは解決できない問題があります。
(山田さん)
瓦礫の片付けや台風後の処理など、多くの人手が必要な状況がありました。特に、高齢者しかいない地域では働き手が不足しているため、そういった人々の活躍の場にもなっています。ジャパンプラットフォームは、こうした国内外での支援活動において実績があります。このように、日本の資金や人々が実際に支援を行っている姿を多くの人々に知ってもらうべきだと思います。
現在も赤丸がついている場所では活動中のプログラムがあり、2024年3月の段階でも多くの地域で活動が続いているということです。
ウクライナからの避難民の状況
さて、次にウクライナの話に戻り、ルーマニアやモルドバの話をしていきたいと思います。ウクライナからの避難民がどこに避難しているかというと、まずはポーランドが最も多くの避難民を受け入れており、ポーランド語がスラブ語系に属するため、言葉が通じやすいという利点もあります。また、親戚がいたりして、約100万人近くの避難民がポーランドや、次いでチェコに逃れています。
(山田さん)
しかしウクライナ南部の厳しい戦闘地域からは、モルドバやスロバキア、ルーマニアに多くの避難民が逃れてきています。私たちが訪れたモルドバやルーマニアでも、多くの避難民が身を寄せています。避難民の70%が修学年齢の子供たちであり、教育をどうするか、親は仕事をどうするかといった問題が避難後に直面する大きな課題となっています。
さて、もう一つ、日本国内におけるウクライナ難民支援について少し整理しておく必要があると思います。まず、ウクライナからの難民受け入れ数は2600人となっています。日本は極東の地域に位置しており、欧米から見ると遠い場所にあるため、受け入れ数は多くはありませんが、確実に受け入れを行っています。
(山田さん)
また、約400人の子供たちがいる現実があり、この子供たちの教育をどうするかが大きな課題となっています。言葉がまず通じないという問題もあります。在留者の数は約2000人で、そのうち子供たちは300名です。一時的な避難だけでなく、中長期的に日本に滞在しようと考えている人たちもいるかもしれません。
このような難民に対する支援をどのように進めていくのか、周辺国での取り組みを参考にする必要があります。特にルーマニアの事例は参考になると思います。言葉の違いが大きな課題となる場合、ウクライナと日本の言語が大きく異なることをどう考えていくかが、日本の課題だと感じています。この点について、小寺さん、何かご意見はありますか?
(小寺さん)
そうですね、今、ウクライナの避難民の子供たちもそうですが、例えばブラジルなど他の国から来て、日本の公立学校に通っている子供たちの言語サポートがほとんどない状況です。日本語が全く分からない状態で、いきなり日本人の中に放り込まれ、勉強についていけず、馴染めないままドロップアウトしてしまうという流れが、まさに今ルーマニアで起きています。この状況は日本でも同様であり、非常に参考になると同時に、どう対処していくかが日本にとっても重要な問題だと改めて感じます。
(山田さん)
あともう一つ先に話をしておくと、お金やプログラムを作ることは、日本人の考え方の一部であり、私もルーマニアやモルドバに行くまではそのような考えに支配されていました。しかし、本当の意味での現場の支援とは、コミュニケーションが重要だということです。言葉以前の問題として、一緒になれるか、友達のようになれるかどうかが重要であり、その受け入れの感覚がなければ、言葉も受け入れようとしないのです。
例えば、子供であれば、遊びを通じてどうやって社会に溶け込むのかが大事です。日本では、日本語や日本の風習について勉強することが第一とされ、カリキュラムやプログラムが提供されるのが一般的ですが、ルーマニアで行われている取り組みは全く違います。
さらに、子供には子供が対応するのが最も効果的です。大人が子供のことをやっても、世代が遠いため、同じ感覚を持った子供たちが友達として接する形でコミュニケーションを取ることが非常に重要だと感じました。これは現場に行ってみて初めて気づいたことで、当たり前のことですが、なかなか気づけなかった点です。
日本の支援のあり方についても、お金を出し、プログラムを作るだけでは本当の支援には繋がらないのではないかと考えます。さて、もう少し現場の話に戻りたいと思います。
(山田さん)
ウクライナ紛争に関連して、ルーマニアのウクライナ国境地域にも行ってきました。地図で示しましたが、トゥルチャという場所の隣にイサクチャという小さな町があります。この地域には、ドナウ川が流れています。ドナウ川は、ドイツのシュヴァルツヴァルトから流れ出し、ハンガリーを通って国際河川として多くの国々を経由し、最終的には黒海に注ぎますが、ここがルーマニアとウクライナの国境になっています。
(山田さん)
この国境地域を訪れた際、ルーマニア側の国境には多くのトラックが並んでいました。右下の写真を見ていただくと、川の向こう側に白い倉庫のような建物が見えると思いますが、これがドナウ川の国境です。イサクチャの国境では、ルーマニアとウクライナを分けているのが約800メートルの幅の川です。
昨年の秋、この地域はドローン攻撃を受け、爆撃されました。ドナウ川は国際河川であるため、ここから多くの物資がウクライナに出入りしており、それに対するロシア軍の攻撃がありました。この爆発によって、ルーマニア側にも影響が及び、多くの人々が避難したということです。
また、この川を渡るフェリーもあり、最初は立派なフェリーかと思って見たのですが、右下の写真で確認できるように、実際には小舟を2艘並べて鉄板でつないだ簡素な艀(はしけ)のようなものでした。
この艀は、小型車が大体10台から20台、大型トラックはわずか2台しか載せられず、それが1日中行ったり来たりを繰り返している状況です。この国境線には橋がなくて、このいわゆる「フェリー」という艀がまさに命の船となっています。戦争状態となった2022年の段階では、1日に6000人以上の人々がこの艀を使ってこちら側に避難してくる状況でした。
避難民に対する支援の内容
(山田さん)
避難してきた人々の中には、赤ちゃんや幼児、ほとんど荷物を持たずに逃げてきた人たちも多く、特に子供たちは戦闘状態の地域から逃げてきたケースが多くあります。こうした状況に対応するため、NPOやNGO団体がさまざまな施設を提供しており、子供たちが遊べる場所や心を和ませる施設がコンテナ内に設けられています。セーブ・ザ・チルドレンをはじめとするさまざまな団体が、国境警備隊と協力して人道支援を行っています。
避難民に対しては、キッチンコンテナを設置して温かい食事を提供するなどの支援も行われています。冬は非常に寒く、雪が多く降る地域で、気温がマイナスになることもあります。そうした中で避難民をサポートすることが重要です。
さらに、国境警備隊と議論した中で、誘拐や人身売買といった問題も戦争時にはすぐに発生することが指摘されており、特に子供に対して優先的にサポートを行うことが重要とされています。現在、この地域は戦闘地域ではなくなりましたが、一時は前線であり、ドナウ川を渡るための橋がないため、この艀が唯一の交通手段となっていました。この艀は2艘しかなく、それが行ったり来たりして物資を運んでいます。
今でも、ルーマニアからウクライナに向けて1日100台ほどのトラックが物資を運んでいますが、1回に2台しか載せられないため、長い列ができています。これがこの国境地域の現実ですが、感想はいかがでしょうか?
(小寺さん)
やはり緊張感がまだ残っていると言いますか、貨物のトラックで本当にすぐ先にウクライナの国境が見えるところまで案内していただいて、警備の方にも色々と話を聞いて、ちょっと詳細はお伝できないんですけれども、非常に張感がまだ残っている場所だなというのは肌で感じました。
(山田さん)
さて、具体的な支援内容について少し話していきたいと思います。まずはルーマニアからの支援について説明します。ルーマニアでは、セーブ・ザ・チルドレンが行っているさまざまな総合的なカウンセリングの現場を見学させていただきました。
(山田さん)
親子で避難してきた人たちがたくさんおり、特に大変なのは子供たちがルーマニア語を理解できないため、すぐに学校に入れないということです。そのため、子供たちは孤立してしまいます。また、お母さんたちも一緒に逃げてきていますが、彼女たちも職がなく、言葉もままならない状況で、当面の生活費も必要です。
右上の写真をご覧いただきたいのですが、保護者がルーマニアのクラスに参加しています。意外と子供たちは、1年か2年もすると言葉を覚えてしまうようで、子供たちに聞いたところ、英語とルーマニア語のどちらが簡単かという質問に対して、英語の方が簡単だと答えていました。逆に言うと、ルーマニア語はそれだけ難しいのかもしれません。私も少しルーマニア語を見てみましたが、確かに難しそうだと感じました。
また、真ん中の上の写真ですが、ここはソーシャルワーカーのオフィスです。彼らは財政面や教育、心理的な問題に対してどのように対応していくかを話し合っているようです。
左下の写真は財政支援のバウチャーで、「RO」と書かれていますが、これはルーマニアの通貨で、食料など特定のものに対するチケットのようなものです。また、10代の子供たちが多く避難してきており、彼らと1時間ほど話をしました。皆、英語が上手で、英語でのやり取りが行われました。最初はつまらない日本の話をしていましたが、日本の漫画の話題に移ると大いに盛り上がり、皆が大好きな「ワンピース」などについて話しました。
右下の写真では、私が久しぶりに折り紙で鶴を折りましたが、忘れてしまっていて、小寺さんに助けてもらうという情けない状況で、鶴を折ってあげたのですが、子供たちは鶴が何かよく分からなかったようで、飛行機だと思って飛ばして遊んでいました。また、けん玉が非常に人気で、一緒に同行した大使館の書記官がけん玉がとても上手で、大変な人気を博していました。
これらのセーブ・ザ・チルドレンなどの活動について、小寺さん、どう思われますか?
(小寺さん)
少し補足しますが、この写真だけでは全体像が分かりづらいかもしれません。セーブ・ザ・チルドレンのオフィスが入っているビルの中に、ワンストップで総合カウンセリングセンターが設置されています。対象者の方々は別の入り口から受付を済ませ、自分の困り事を話します。すると、心理学者や教育カウンセラー、財政支援の担当者などがカウンセリングを行い、ニーズを把握した上でプログラムを作成してくれます。
その間、例えば子供たちは夏休み中にワークショップに参加したり、親はルーマニア語のクラスを受けたり、財政面での支援を受けたりすることができます。このビルの中で、家族全員が一括して支援を受けられるというのは非常に画期的で、ユーザーフレンドリーな支援プログラムがしっかりと整備されていると感じました。
(山田さん)
やはりセーブ・ザ・チルドレンを見ていてすごいなと思ったのは、本部はイギスのロンドンにあるということですが、世界中で子供の支援を行っているので、何が必要かを的確に把握し、さまざまなプログラムやマニュアルが完備されている点です。
日本では緊急支援を行う際、手作り感が満載で試行錯誤しながら進めることが多いですが、セーブ・ザ・チルドレンでは必要なことがすぐに把握され、迅速に対応しています。また、世界中の約30カ国から寄付や資金を集め、支援を必要とする国に対して支援を行っていて、ウクライナの避難民である子供たちとその親に対してサポートを行っています。
(小寺さん)
子供たちがとにかく楽しそうに遊んでいたのが印象的でした。
(山田さん)
次にユースセンターについてですが、今回の支援のあり方について、私自身も大変反省させられ、考え方を改めた部分があります。簡単に言うと、これはボランティア団体で、若い人たちがSNSなどを使い、困っている若者たちに対して同じ目線でサポートを行うというものです。
(山田さん)
このユースセンターも国際的な支援団体として独立した形でいろいろなプログラムが作られていますが、やはり重要なのは、同じ立場の若者たちが支援を行うことです。特にここで支援している人たちも、実はウクライナから逃げてきた人たちです。そうでないと、気持ちが理解しにくい部分もあるからです。
日本では、どうしても日本人が避難民に対して施すという感じになりがちですが、避難してきた人が同じく避難してきた人をサポートすることが、最も分かりやすくて効果的だと感じました。この点については、非常に良いプログラムが作られていると感心しました。
(小寺さん)
山田さんが、ウクライナから逃げてきた子供たちがどのようにこのセンターにアクセスしてくるのかという質問をしたところ、口コミで「ここは楽しいよ」という話が広がり、ネットワークがどんどん広がっていくという生の声を多くの若者から聞きました。
(山田さん)
次に、地方地域の支援の輪についてお話しします。今回は、国境地域であるウクライナとルーマニアの国境付近を訪れた際に、その隣にあるトゥルチャという小さな町にも出かけてきました。この町は支援のコアな部分となっている場所の一つです。また、コンスタンツァという、黒海に面したリゾート地とも言われる都市にも支援センターがあり、こちらも訪問しました。
国境付近にこうした支援センターが設置されている理由の一つに、言葉の問題があります。国境付近では、戦争前からウクライナの人々が来ていたため、ロシア語やウクライナ語を話せる人々が多く、仕事をするにも教育を受けるにも、いきなりルーマニア語を使わなければならないというわけではありません。
その点では有利ですが、地方には仕事が少ないなど、さまざまな不便な部分もあります。したがって、何でもかんでも首都ブカレストが良いというわけではなく、その地域に対するサポートをどうするかが一つの課題だと思います。
(小寺さん)
オデーサからこの地域に逃げてきた方々の中には、港町であることや街の雰囲気が故郷と似ていることから、この地域を選んだという方も何人かいらっしゃいました。この地域の学校教育センターでは、クラフトの先生が日本文化に非常に熱心で、みんなで着物を作ったり、折り鶴を折ったりしています。折り紙が本当に上手な子ばかりでした。
また、何人かの子供たちに詳しくインタビューをさせていただきましたが、全く違う地域、例えばオデーサとキーウ出身の2人がこのセンターで大親友になり、それが心の支えになっているという話を聞きました。
写真に写っている子供も日本が大好きで、彼は「鬼滅の刃」のピアスをしていて、コスプレも大好きで、将来はアニメーターになりたいという夢も共有してくれました。また、逃げてきた方々からも多くのコメントが寄せられ、保護者会には2カ所で参加させていただき、合計50人ほどの保護者の方々から直接お話を伺いました。
全体として、日本の予算はすでに切れており、現在はセーブ・ザ・チルドレンが持ち出しでプロジェクトを続けている状態で、それも9月で終わる可能性があるということに対する不安が、皆さんから率直に表明されました。今後も継続してもらわないと、本当に自分たちはどうしていいかわからないという不安が広がっていました。
保護者の方々からは、日本からの支援に感謝しているという声が多く、「戦争の中で地方に逃げてきた自分たちのことを忘れないでいてくれることが非常に嬉しい。でも、戦争はまだ終わっていないので、決して見捨てないでほしい」といった直接的な言葉もいただきました。
また、ルーマニアの社会とどう融合していくかについても多くの方が課題を感じており、今後ウクライナに戻るとしても、いつ戻れるのか分からない中で、ルーマニアの教育システムに適応しなければならない状況で、実際に課題に直面しているという話もありました。このコミュニティを「ビッグファミリー」や「セカンドホーム」と表現する方も多く、つながりがしっかりできているため、何とか続けてほしいという願いも強く感じられました。
男性は基本的にウクライナから出られませんが、子供が3人以上いる場合、または子供や自身に障害がある場合、あるいは65歳以上の場合は出国が許可されています。あるお父さんから話を伺いましたが、ヘルソンから妻と子供と一緒に急いで逃げてきたとき、子供に医療が必要で、言語の問題でルーマニアのファミリードクター制度を利用する予約が取れず、子供の障害を認定してもらえないため、処方箋がもらえないという深刻な問題に直面していました。
やはり言語の壁が問題で、ルーマニアの学校に入る際には入学試験があり、言語テストに合格できないと入学できません。そこで、セーブ・ザ・チルドレンのカリキュラムで1年から2年かけて語学を学び、何とか助けられている状況です。宿題もまともに教えられない状況なので、これからも支援を続けてほしいという切実なお願いがありました。
さらに、お母さんたちも言語ができないため、仕事はホテルの清掃や簡単な運送業務などに限られ、月に8万円から9万円程度の給料しか得られないという状況です。政府からの住宅支援が打ち切られた中で、今後の財政的な見通しが立っていないという話も伺いました。
保護者の方々からは、セーブ・ザ・チルドレンと日本政府に対する感謝状もいただきました。当日参加できなかった保護者の方々からはブランクで申し訳ないとの話もありましたが、ウクライナの方々の感謝の気持ちが伝わってきました。日本の支援がこうしてウクライナの方のコミュニティにどれだけ役立っていたのかを直接お聞きすることができました。
(山田さん)
次に、モルドバでもユニセフによる支援の状況を見学しました。どこでもまず重要なのは、子供たち、特に教育です。左側の写真はEdTechに関するものです。私も最初は普通の教育と勘違いしていましたが、EdTechの目的は、子供たちを学校に通わせるためにどうするかということにあります。モルドバ国内でもEdTechは何十箇所にも展開されており、少なくとも通信機器が繋がっている教室には子供たちが集まり、リアルタイムでネットを使って教育を受けています。
(山田さん)
私も最初は「先生が足りないなら、オンデマンドで授業を配信すればいいのでは」と思いましたが、そうではなく、重要なのは教育コンテンツそのものよりも、子供たちが学校に来て、孤立せずに共同生活を体験することで、社会に馴染んでいくことだと説明されました。このEdTecのラボプロジェクトは、公立の学校で行われ、ウクライナの子供たちにもオンラインで教育を提供しています。ユニセフのモルドバ事務所でも、子供たちが社会にどう溶け込んでいくかを真剣に考えていることが議論されました。
さらに、ウクライナから避難してきた子供たちの中には、発達障害を持っている子や、トラウマで心理的な障害を抱えている子供たちが多くいます。これらの子供たちをどのようにサポートするかが重要で、日本の補正予算の中で支援が行われています。
(山田さん)
真ん中の下の写真は、聴覚障害を持つ子供たちのための検査機器です。耳に機械を当てるだけで異常があるかどうかが分かり、私も試してみましたが、異常はありませんでした。このように、戦争が起きた際には武器の支援が注目されがちですが、特に子供たちや障害を持つ子供たちが大変な思いをしているため、こうした医療器具や支援が非常に重要です。
また、遊びを通じた支援も大切です。戦争だからこそ、子供たちを明るく保ち、できるだけ日常に近い状況でサポートしようという取り組みが行われています。皮肉なことに、共産党時代に作られたパペット劇場が、ウクライナから避難してきた子供たちにとって、楽しい場となっています。演劇というよりも、パペットを通じたコミュニケーションで、内向的になってしまった子供たちの心を開く効果が期待されています。現在も、この劇場は子供たちが集う場所として機能しています。
(小寺さん)
みんなもう走り回ってすごく楽しそうにしていました。
(山田さん)
左下の写真をご覧いただくと、このエデュケーターという方が中心となって子供たちをサポートしています。実は、ユニセフの青いジャケットを着ている彼女も、元々ウクライナから逃げてきた方で、モルドバで資格を取得し、ユニセフの支援を受けながら、ここでウクライナの子供たちの支援を行っています。彼女が私たちに対していろいろと語ってくれましたので、その紹介を小寺さんにお願いします。
(小寺さん)
彼女が話している途中、涙を流しながら思い出を語っており、私たちも心が痛むほどでした。彼女は元々ドニプロ出身で、そこも戦闘が激しかった地域です。彼女は2年間オデーサに住んでいましたが、そこから逃げてきました。当時、彼女の子供は生後4ヶ月で、大変寒い中での避難は非常に厳しかったと語ってくれました。
(小寺さん)
最初にこのセンターに来たとき、子供たちはストレスやトラウマで縮こまって震えたり、何かに怯えたりする状況が続いていたそうです。しかし、ここで安心を提供することで、子供たちが徐々に心置きなく成長する姿を見ることができ、今は幸せだと彼女は話していました。
どのような支援が必要かという質問に対して、彼女はとにかく何でもサポートが必要だと、特に、コミュニティを維持するための支援が現在のフェーズでは非常に重要だと強調していました。これは、親にとっても重要で、ストレスを抱えたり、情報やリソースが不足している中で、どう子供に接すればよいかわからない親も多く、親子間のコミュニケーションがうまくいかないこともあるためです。したがって、親への支援と、子供に安全な環境を提供することの二つが必要だと語っていました。
子供のトラウマケアは非常に難しい分野であり、彼女はドニプロにいた頃からエデュケーターの資格を持ち、幼稚園で働いた経験やアートセラピーの資格も持っているプロフェッショナルです。彼女は、言語がうまく通じない中でトラウマを抱えた子供たちに対するアプローチとして、パペットやアートセラピーなど、遊びを通じて子供たちをケアすることがいかに大事かを具体的に伝えてくれました。
ロマ族の差別問題
(山田さん)
ここまでウクライナ難民の子供たちを中心とした支援について見てきましたが、実はこれ以外にも、ルーマニアにはロマ族に対する差別問題があります。この点についても触れておく必要があると思います。
ロマ族は、ヨーロッパの中で歴史的に差別を受けてきたグループです。当時、ユダヤ人が差別されたことはよく知られていますが、ロマ族もまた差別を受けてきました。ロマ族はインドから移動してきた人々で「ジプシー」とも呼ばれることがあります。ルーマニアには100万人から200万人ほどのロマ族が住んでいますが、この人々に対する支援が十分に行き届いていない状況があります。この問題についても、今後さらに考えていく必要があります。
(小寺さん)
実際に、最も貧困層に属するのがロマ族だということで、基本的に、学校に通うことが難しい状況が多く見られ、80%以上の子供たちが義務教育をドロップアウトしていました。その後、就職も難しく、家を借りることもできず、結婚もできないという悪循環が続いています。
(小寺さん)
私たちが訪れた場所は、コンスタンツァから近い地域で、約200人の家族が住む小さなビレッジのような場所でした。住民の方々はこのようなご自宅に住まわれている状況でした。
ウクライナの子供たちを受け入れる際には、彼らがルーマニア語を習得するために1年から2年の集中コースが設けられていますが、同様に、ドロップアウトしてしまったロマ族の子供たちやその親たちも、このギャップを埋めるための教育を受けられるようになっています。ホストコミュニティ全体で一緒に底上げをする取り組みを、セーブ・ザ・チルドレンが行っています。
ロマ族の方々の1日の収入は多くても10ユーロ(約1600円)ほどで、5人から6人の子供を抱える家庭が多いため、非常に厳しい状況です。電気も先月か2ヶ月前にようやく通ったという状況で、それまでは電気のない生活を送っていました。このご自宅も最近建て直されたばかりで、他のご自宅も見せていただく予定でしたが、アレルギー症状が出る可能性があるため、団体の方がやめた方が良いと判断し、今回訪問したのは新しい方のご自宅のみでした。
今後の支援の課題
(山田さん)
ということで、冒頭でも述べましたが、ルーマニアには「チャウシェスクの子供たち」という問題があります。約17万人が事実上の孤児となり、現在でも養護施設には約2万人が残っています。30年ほど経過した今、彼らの多くは成人していますが、貧困の連鎖など、依然として問題が残っています。
ルーマニアは、歴史的かつ地政学的な問題を抱える中で、今回のウクライナ戦争により、多くのウクライナの子供たちが避難してくることになりました。このような状況の中で、日本が何をすべきかを考える必要があります。
(山田さん)
まず、ルーマニアやモルドバでのウクライナ避難民支援の課題をいくつかまとめてみました。避難民とルーマニア人の統合が今日のテーマでしたが、私自身も大きな勘違いをしていた点があります。それは、支援が「施し型」になりがちで、教育を提供するとか、生活の支援をするといった形に偏りがちだったということです。
しかし、支援の本質は、社会にどのように融合できるかにあります。社会に融合できれば、働くことも教育を受けることも可能になります。そのためには、言語が非常に重要です。日本は英語から離れた言語を使用していますが、支援する場合、または東アジアで何かが起こった場合、言語の問題が大きな課題となります。言語を知らないままコミュニティに統合することの難しさを痛感しました。
逆に、支援を行っているNPOの人たちは、コミュニケーションを最も重要な支援と考えています。これができなければ、子供たちの心や精神的な安定感を得ることは難しいでしょう。まず第一に、この点が重要だと思います。
次に、避難民の住居と社会支援についてですが、財政的な制約があり、とにかく資金が不足しています。そのため、最低限の生活インフラの支援が求められます。先ほどセーブ・ザ・チルドレンのバウチャーをご覧いただきましたが、あのような形での支援も必要です。
さらに、ルーマニア政府、そして日本も反省すべき点として、統合戦略が欠如していることが挙げられます。言語学習がバラバラに行われたり、教育、雇用、保険、医療、財務といった分野が縦割りになっているのです。
(小寺さん)
やはり、省庁ごとに担当する部分が異なるため、避難民に対する支援について政府が一体となった総合戦略ができていないという指摘がありました。これは日本でも同じ問題が起きる可能性があり、同様の状況に陥るのではないかと思いました。雇用や保険、医療、そして教育も含め、総合的な戦略をもう少し長期的に立てていくことが課題だとおっしゃっていました。
(山田さん)
次に、ルーマニアやモルドバ政府の対応についても見てきましたが、やはりNGOやNPOへの依存が大きくなっています。これが5番目の「長期的な支援の欠如」という問題にも繋がっているのですが、政府が行う支援は短期的なものに留まっています。当初は国際的な世論が高まり、政府がまず税金を投入してモルドバやルーマニアで支援を行いますが、予算が切れてくると次にNGOやNPOの出番になります。
NGOやNPOも、世界中から支援を受けて活動していますが、最終的にはその支援も打ち切られ、寄付だけで賄われるようになります。その結果、組織を維持するために支援金を削減せざるを得なくなり、施設が閉鎖されたり、国際的なNGOの人員が整理されたりすることが起こります。こうして支援する側も不安定な状態に陥り、支援を受ける側も当然ながら不安定な状況に置かれるのです。
このような状況は、どの国でも起こり得る問題であり、国際的な枠組みの中で、継続的な支援をどのように行うかを考える必要があります。特定のNGOやNPOに依存していると、当初は「かわいそうだ」「助けなければ」という感情が高まりますが、数年経つと支援が忘れられたり、わかってはいるけど自分たちの生活もあり、最も弱い立場の人たちが取り残されるという結果になります。
もちろん、支援を受ける側も自立していかなければならないため、早く地域社会に溶け込み、言葉を覚えて自立する必要があります。この点をうまく進めていくことが重要です。
その意味で、日本への要望や政府への提言として、避難民に対する言語プログラムや教育支援、医療サービス、住宅支援を含めた総合的な支援を数年単位で行うことが重要だと思います。紛争や戦争が起こると、その影響は1年では収束しないため、支援を続ける必要があります。
東アジアの状況についても、日本は厳しい地理的な位置にあります。中国やロシア、北朝鮮といった価値観を共有できない地域と接しており、何か起こる可能性があります。朝鮮半島の問題や台湾海峡の問題を含め、相互に支援が必要になる事態が起こるかもしれません。経済安全保障と共に、もし何かあった場合にどういった支援を行うのか、またはのような支援を受け入れるのか、今からシミュレーションして考えておく必要があるのではないかと思います。
ドイツでも、例えばコソボ紛争の際に急に支援が議論され、メルケルさんが決断をしましたが、その後、急速な支援が反感を生むこともありました。移民が大量に増える中で、日本も先進国として何か有事があった場合、一切受け入れないというわけにはいかないでしょう。
そうした場合、どのように整合性を取るのか、受け入れるならどうするのか、受け入れないなら何をすべきかを今から考えておかなければ、いざという時に大変な困難に直面することになると思います。
長期的な支援プログラムが必要であることや、難民が交流サービスにアクセスし、安全なスペースを提供するコミュニティの重要性を改めて感じました。私自身も、支援とはお金やプログラムだけでなく、コミュニティとコミュニケーションが重要であると反省させられました。
同じ目線を持った人々が孤立や孤独を避け、人として付き合う場を提供することが大切です。これは難民支援に限らず、日本国内の高齢者や支援を必要とする子供たちにも共通する問題です。
日本は、元々村社会のような構造を持ち、内側に入れば強い絆がある一方で、外側にいる人に対して排他的な側面もあるかもしれません。この点をどう改善していくかは、日本が国際的に展開する際に問われる重要なポイントだと思います。
また、難民や移民に対する考え方を整理する必要があります。日本では難民認定が政治的、宗教的な問題に限定されており、紛争難民の受け入れには明確な根拠がありません。今、日本がウクライナから多くの難民を受け入れていますが、その多くは紛争難民です。この点を整理しておかないと、有事の際に国が大混乱を引き起こす可能性があります。
特にこの紛争戦争難民、これは日本ですら何かあれば、例えばどういう風に避難をしていくのか、もちろんそうならないように事前の防衛等の備えはする必要がありますが、例えば地震があったりいろんなことがあったりするわけで、諸外国からもサポートを受けることもあるわけですから、この辺りの議論は平時からしておく必要があるし、そのための準備と法律の整備が必要だと強く感じました。
今日のまとめ
今回のルーマニアとモルドバの視察は、短い1週間でしたが、実際に現場で多くの議論をし、現実を見た責任として、国内で何かをしなければならないと感じています。
また、特にモルドバでは緊張感が非常に高まっており、外務省の外交官たちが現場で非常に頑張っていることも印象的でした。モルドバでは、親ロシア派とEU派が二分されており、現大統領はEU加盟を目指して努力していますが、ロシアからの圧力も強まっています。
国際政治の現場では、戦争が起こっていなくても、前線のような状況が続いています。このような現場の情報を集め、国際政治のリアルな現状を理解し、日本の外交官たちをサポートしていく必要があります。外交官が現場で自腹でホテルに泊まりながら前線に出かけるような状況は避けなければならないと思います。こうしたことも含めて、さまざまな整備が必要だと感じました。
総合的に見て、小寺さんも何か感想がありますか?
(小寺さん)
今回改めて、すべては現場にあるということを身をもって感じさせられました。実際に逃げてきたお母さんたちや子供たちから直接話を聞くことは、本当に何にも代えがたい貴重な経験でした。彼らから頂いた声をしっかりと次につなげるための宿題をたくさんいただきましたので、その実現に向けてしっかり取り組んでいきたいと思います。
国会議員の中でも、紛争地域の近くに出かけて、特に避難民に対する支援が具体的にどう行われているか、どこに課題があるのかを捉えた視察はなかなかないと思います。しかし、世界的にはこうしたことが議論される重要な局面に今あると思っていますので、今回は非常に重要な視察になったのではないかと感じています。
(山田さん)
ということで、モルドバやルーマニアから見たウクライナの状況も含め、今回の視察の内容を報告させていただきました。まだまだ細かい部分で伝えきれないことがありますが、今回私たちの事務所として視察してきたことを、丁寧にレポートの形でまとめていきたいと思っています。
私はただ情報を提供するだけのジャーナリストではなく、責任を持つ公の人間ですから、これを日本の国のためにどう考えていけばいいのかをしっかりと考え、取り組んでいきたいと思います。また、ルーマニアやモルドバ、そしてウクライナの人たちに対するサポートについても、日本がこれからどのように対応していくべきかをしっかり考えていきたいと思います。
それでは、今日はこれくらいにしたいと思います。どうもありがとうございました。