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渡来人が日本をつくったとしたら、言葉の壁をどう乗り越えたのか???

ALOHA〜🌺
フラとハワイのDEEPなお話し@虹色に包まれて
古代出雲&HULA技術探求家
ナルです🌴


あなたにとってのALOHA💗とは何ですか?


前記事↓


今回は、
タイトルにしちゃいましたが、

ナルがずっと疑問だったことについて
書いてみたいと思います。

読んでくれている皆さん
も、
ナルと同じことを考えたことあるのではないかな???

↑過去記事で、

自己愛を確立するためには自分のルーツを知ること

書いたナル
ですが、

ナル自身も自分のルーツを知りたくて
歴史を遡っていきました。

縄文時代が1万年以上続いたという事実
その間、争いは起こらなかったという事実

などを知り、

なんだか日本ってすごくない???😍

感じたナルです。

世界の国々の中で
一番最初に居を定めた民族が今でも残っている
ということは
恐らくありえません。

一番長く統一の王朝が続くのが
ギネスにも載っている日本
ですが、

日本列島にも何度かの渡来があった

言われていますよね。

究極のミックス人種が日本人
だと
言われていたりもします。

その議論は置いておいて、、

ナル、
学生時代に

渡来人が日本の政治の実権を握った
というくだりを
教科書で読むたびに、

言葉は通じたんだろうか???

という心配をしていました(笑)

でもね、

教科書の中に
言語については一切触れられていなかった
ので
余計に不思議に思ったんです。

そして
ナルなりに想像したのがこちら↓

・・・・・

今のような人口の密度ではなかった日本

大きな集団が移動してきても、
他の集団とふれ合うことは
基本なかったのではないか。。

なぜなら、
超古代は陸路はほとんどなく
船での移動が主だったから。。

人々の住む地域に行くためには
船での移動が必要だった訳で、

隣の村の人と
歩いていてばったり出会うことはなかった。

だから、
地域ごとに
違う言葉を使っていたのではないか???

・・・・・

一方、

船は
私たちが思うよりも
ずっとずっと古くからありました。

私たち日本人は
船を操る海洋民族ですから、

弥生時代はもちろん、
縄文時代においても、

人々は船に乗って移動し、
土地の特産品を
物々交換したりしていたらしい
です。

自然が豊かで食べ物も豊富な島国だった日本
では
争う必要がなかったため、
人々は融合していった。

ということは、

やはり
そこで言葉が交わされるはずです。

そして、
時代を経るごとに人口は拡大し、
陸路も整備され、

地域間の交流は
とてもさかんになっていったでしょう。

そんな頃に
日本にきた渡来人

言葉の壁をどうやって乗り越えたのか???

既に行き来があったところ
だと
その言葉を理解できる人がいたかもしれません。

が、が、、、

腑に落ちないナル。。

ところが、

超古代
世界は1つだった
という考察が出てきました。

さらには、
日本語が
全ての言語の元になっている
という話も語られています↓

旧皇族 華頂宮チャンネル↑華頂さんと武内先生の対談です。

もしそれが本当なら、

日本を目指してきた人々は
全く同じ言語でなくても
おおよそ理解できた
ということになるのではないでしょうか?

これ、

日本の歴史教科書で語られる、
渡来人が日本を作ったという部分において

納得できるなあ

腑に落ちてしまったナル

逆に、

だから、争わずに融合することができた
かも???

そして、
自分のルーツを知るための探求
から

言語を通じて
ハワイ語につながる気づき

も、、、、

長くなったので次号へ✨

つづく


I love BTS
悩める虹の母 なる でした〜🌈
Thank you for reading
& Love you💗

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