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敵はいない

わたしたちが文章を書くときに使いがちなレトリックの一つに、自分のいいたいことに対立する概念を上げて、その考えかたを採用している人が「多い」と切り出す、いうものがある。

たとえば、自分は先入観を持たずに人と付きあいたいと思っているとして、そのことを書くのに「先入観を持って人に接する人は世の中に多い」というところから始める書きかた。

たしかに本人は「多い」と感じているのかも知れないけれど、具体的にそれは誰なのだろうか。
名指しでは書けないから、という問題ではなくて、自分がいいたいことのためにそのような「誰か」を登場させることの是非だ。

文章のなかに、敵は作らなくてもいい。
まちがったことをしている人がいて、自分はその反対のことをしているから正しい。
そういう論理を使わなくても、文章は書ける。

自分の考えていることを、最初からストレートに書けばよいのだ。
わたしはいつもまっさらな気持ちで人と出会いたい。
そう書けば、きっと伝わる。

文章にも自分の考えのなかにも敵を作らないことを意識して書いていくと、ほどなく気づくだろう。
もともと、敵なんかどこにもいなかったことに。

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