irisée

エッセイスト羽生さくるのもう一つのアカウントです。 irisée「虹色の」心を映して描いていきますので、よろしかったらお付き合いください。

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最近の記事

はじめての自己紹介

羽生さくる文章教室の生徒さんには「自分について書いてみましょう」とお勧めしておきながら、わたし自身のことって、ほとんど書いたことがなかったな、といまさらながらに気づいた。 エッセイっていうのはお題があって書くものだという頭があったり、わたしの場合はとくに誰かに話を聞いて書くことが多かったから、発想自体がなかったように思う。 でも、わたしが生徒さんだったとしたら、自分について書きなさいといっている先生はいったいどんな人なのか、先に知りたくなるのではないだろうか。 というこ

    • まいった魚は目でわかる

      スポーツ麻雀という名の、賭けたりしない健全な麻雀が広まってきているとか。 賭けなければ健全なのか、なんて考えはじめるとややこしいからやめよう。 ただ、わたしが知っている麻雀について、書いてみたいと思う。 わたしが育った家では、両親と親戚や友人たちとの徹夜麻雀が週末ごとに行われていた。 昭和40年代の話である。 さらに遡ること10年と少し、両親が東京で最初に住んだのは、北品川の廃業旅館の離れだった。 女主人はもと新橋の芸者さんで、旦那に建ててもらった旅館を経営していたが、病

      • 毛糸とわたし

        編み物を始めたのは小学校5年生のとき。 まんまるのボールに目鼻と耳としっぽをつけたクマのあみぐるみからだった。 使うのはかぎ針で、最初に毛糸で二重の輪を作る。 そこに細編みを6目編み入れたら、輪の一方をそっと引く。 するともう一方の輪が縮みはじめるから今度はそっちを引いて編み目をきゅっと絞る。 つぎに糸の端を引くと先に引いたほうの輪も縮んでなくなる。 針を1目めに入れて引き抜き、円にする。 いまもかぎ針で帽子や丸いモチーフを編むときは、この円から始める。 母に

        • あなたにもきっと書ける

          わたしは「羽生さくる文章教室」を主宰している。 わたしが持っている書くことについての経験と技術を、書くことが好きな人たちに知ってもらえたら、という願いから始めた教室だ。 最初は8人から10人くらいの生徒さんを集めて講義していたのだが、文章の推敲が中心なので、複数ではじっくり向き合うことができないことがわかり、ここ数年は一対一のセッションの形式にしている。 あるとき生徒さんから、推敲の過程で自分を肯定してもらえた、という感謝の言葉をもらい、自分では意識していないことだったの

          敵はいない

          わたしたちが文章を書くときに使いがちなレトリックの一つに、自分のいいたいことに対立する概念を上げて、その考えかたを採用している人が「多い」と切り出す、いうものがある。 たとえば、自分は先入観を持たずに人と付きあいたいと思っているとして、そのことを書くのに「先入観を持って人に接する人は世の中に多い」というところから始める書きかた。 たしかに本人は「多い」と感じているのかも知れないけれど、具体的にそれは誰なのだろうか。 名指しでは書けないから、という問題ではなくて、自分がいい

          敵はいない

          願いごとを自分で聞きとる

          「愛されたい」という願いはエゴイスティックなものだと思っていた。 相手がわたしを愛したいのかどうか確かめもせずに「愛されたい」と願うのは一方的に過ぎると。 「愛したい」は自分だけでできることだから、いくら願ってもいいし、願うまでもなく愛せばいいんだとも思っていた。 だから「愛されたい」とは願わずに「愛したい」だけを願ってきた。 でも最近になって、あれ、なんか抜けていたのかも、と気づいた。 「愛されたい」と相手や誰かに願う前に、自分は「愛されたい」と願っているんだ、と自分

          願いごとを自分で聞きとる

          たいくつしない

          二十歳のころだった。 わたしを編集の世界に招きいれてくれたAさんというひとが、中学の同級生とばったり会ってお酒を飲むことになったからきみもいっしょに、とわたしを銀座のバーに連れていった。 水割りってまずい、といったら「嫌いといいなさい」と彼に叱られたのがこの夜だったのだけれど、もう一つ思い出がある。 同級生の話は、彼が信じる宗教のことだったのだ。 Aさんはだいぶ閉口した様子だった。 わたしもとまどいつつ、宗教の話自体は中学からキリスト教のそれを聞かされ慣れているので、他の

          たいくつしない