【人生】父が亡くなり一年がたつ、一週間前
父の日一周忌が目前。一週間前。
命日ではなく今日なのは当日の多忙もあるが、生きている父に会えた最後の日だからだ。
ああ、やはり、思い出すと、悲しい。
とてつもなく、悲しい。
この呟きの30分後くらいに、病院から「いつ呼吸が止まってもおかしくありません」という連絡が来た。
そして冒頭のFacebookに繋がる。
面会は15分、ストップウォッチで時間を計り、ひたすら「お父さん頑張って」と家族で叫ぶばかり。
目の焦点も合わず、震えて辛そうな父に「頑張って」はちょっと酷だったのかもしれないが、
「頑張ったね、もういいよ」とか言えなかった。
「本音は、お願いだからいかないで」しかなかった。怖かった。
生きて存在しているというだけで良かった。
過ぎてみたら酷だったかもしれない。
ウグイスの声が父との別れを知らせてくれたが、今年も季節外れのウグイスが鳴いていた。
去年より、少し遠くで。
一年。
早くて、そして重たい一年だった。
認知症になってからも、なる前も、父に相談することはあまりなかったが、亡くなった後に父はどう考えるだろうかと考えることがある。
寂しい思いをさせてしまった分の罪滅ぼしのように。父のことばかり思い出す。
家族が入院していて、親戚も高齢のため、法要などはとりおこなわない。
加えて、夫の急な遠方出張に、夜は会議の会場に。私はその翌日からの展示の準備に追われる。
読経も祝詞もあげられない分、好きな焼酎を御供えしようと思う。父は特に信仰も宗教をもっていなかったが、どうしてもらうのが嬉しいのだろう。
命日はちょうど大忙しの日だ。会議の一部を取り仕切っていた義母がちょっと言うことがおかしくなってきたので、今年は私が司会になるかもしれない。人前に出ると固まって全く話せない人間なので、前準備が大事だ。憂鬱だ。
父の死を悼み、偲びという状態でないのが申し訳なく悲しい。
でも、あなたの望む形なんかではないかもしれないけど、私は私なりに一生懸命生きてるよと父に言いたい。
形式的ではないが、父のことも私なりに供養をする。
私のことなんか気にしないくらいあの世が楽しければ尚嬉しいけれど。
夜には父と一緒に焼酎をのもうとおもう。
おこづかいを奮発していい焼酎を誕生日に買っても、牛乳で割ってしまいがっかりした思い出がある。ワンカップ焼酎と牛乳かな。美味しいのかな、あれ。
白髪が多くなってきた自分の姿をみて、中身は全然成長していないのに、外側ばかりは少しずつ老いに向かうのだなという気配を感じる。
そして、あの時の父や母に思いを馳せる。
生活をするというのは、ゆるくない。
毎日が闘いだ。
きっと親たちは、人の気も知らないで騒ぐ子どもたちにも苛々しながらも、どうにかこうにか頑張っていたのだろう。
一年もたったのかというのと、一年しかたってないのかというのと。
とても変な感じだ。
一年たってみて、私は父がこの世にもういないことを実感した。
やっと感じた。
あまり感じたくなかった。
とても悲しい。こんなに悲しいことがあってたまるかと思うのですが、年齢通りに見送るならば、母、そして夫とのお別れもこの先にあるのだろう。
これは、堪えられるか解らないなあと思った。
そして、いずれは私の肉体とのお別れも。
それは、どんなだろうと時々思う。
それを思うと忘れないでほしいけど、悲しまないで、残された大切な人生を、たのしく、幸せにわ、笑って生きてほしいと大切な人にはそのように願うと思う。
父が亡くなり大きく変わった考えがあるとしたら、人生が足し算から引き算になってきたことだ。
今あるものから何が不要だろうか。
何を残したいだろうか。
私の大切はなんだろうか。
終わりを見据えた「生きる」の形にどんどんなるのだろうと思う。
欲から離れるために、欲を満たすというか。
取捨選択をするというか。
愛別離苦は、紀元前から言われている苦しみだ。大抵の人類が感じることのある感情だ。
まだまだ知らない気持ちがあるに違いない。
現在の平均的に生きるのであれば、まだ折り返し地点に立っているくらいだと思うが、これからの私の人生のゴールは何だろうと考える。
嫁ぎ先が私の成し遂げたいことに直結はしているため、そればかりはやりとげたいと思う。
誰のものでもない私の人生を、大切な人と幸せに全うするために。
もし20日に余裕があればまた記事をあげたい。