いい加減農法
無肥料、無農薬、不耕起の畑も6年になりました。今では耕さず、施肥せず、水やらず、時にはタネも蒔かず笑、それでも野菜も果樹も花も庭木もすくすく育ちます。大変なことが何もありません笑
最初は自然農法とか自然栽培とかいろいろ本を読みましたが、結局のところは、それはそれで知識として持ちながら、目の前の植物をよく見て感じて、必要だと思ったことをやってみることだと気がつきました。
私の場合は知識やノウハウにとらわれず、自分の感性を大事にした方が結果的に上手く行くようです。
では何もしないかと言うとそうではなくて、植物が気持ちよく過ごせるよういろいろ見ています。それは草を抜かない、虫を殺さないと言うことも含まれます。
今ウリハムシが大発生して農協で買ったズッキーニやユウガオの葉を寄ってたかって食べています。葉っぱが筋だけになります。
ところが、うちの畑に植えてから出た葉は食べません。そして新しい葉だけになるとウリハムシはいなくなります。
私は、ウリハムシはウリ系の植物の「調子のよくない葉」を食べているのではないかと仮説を立てました。うちで言うと、農協が育てて農薬がかかった葉です。もう長い間肥料も農薬も除草剤も一切使っていない畑で、農薬の付いた葉は異物かもしれません。
毎年ウリ系の野菜は食べきれないほど実がつきます。もしかしたらズッキーニは、ウリハムシが葉を食べることでむしろ畑の環境に適応して健康になっているかもしれません。
葉を食べる虫はよくない、というのは人間の視点であって、実際にどうかはもう少し余裕を持って長期的な視点が必要です。
しかし収穫=お金となると、そうは見れません。なので、農薬をまいてウリハムシを殺し、葉は穴一つない。それが本当に良いことかはわかりません。見た目が良いことと、本質的に良いことは別なのです。これは雑草を抜くという行為も同じです。
ただし、他の植物の生育状況を悪くする草や、藪になって風通しが悪い時は減らしたり短くしたり手を加えます。基準は植物が気持ちよく育てるかどうかです。
私がこの畑の野菜や植物から学ぶのは、人間の損得や都合で植物や畑をいじらず、植物や植物の環境が気持ち良いかという視点で私が整備すると、結果的にちゃんと植物は応えてくれるということです。年々はっきりしてきました。
そして、一見無駄なような雑草や虫も、全体の中で何らかの役割を果たしていることです。存在には理由があり、無闇に排除するのは全体を乱すこともあります。
このことは私が今生きている全てのこと、音楽や教育や人間関係、あらゆることに共通することにも気がつきました。
相手が気持ちよくあれるか、全体が気持ちよくあれるかの視点で考える。私も気持ちよくあれるかも考える。そして必要なことをする。
バランサー、という言葉が浮かんでいます。私はこの社会の「いい加減」を探しているのかもしれません。