続・続チン凸百景 ~ファルス信仰から逃れられない我々~
続・続、という形になりますが、今回は欲望の因数分解について考えていきます。以前のものはこちらです。
心の穴
形にならないような欲望、うまく言葉にできないようなさみしさを二村ヒトシ氏は”心の穴”と定義されました。
彼は性的なことを職業にしているため、穴なんてつけて、と仰られていたが、非常にうまい言い回しだと感じています。
なるほどと思いながらラジオを聞きました。
私はこうして、文をつづることが好きです。考えをまとめることも、それはこういうロジックをもつこういうフレームワークのものか、と定義づけてしまうことが好きで好きで仕方がありません。
こんまりさんもおそらく片付けが好きで好きでしょうがないと思います。世にあふれる料理研究家の方々も、おそらくおいしいものを食べたくてしょうがないか、もしくは効率化したくてしょうがない、あるいは人に自分の考えを広めたくてしょうがないのではないかなと考えます。
例えばアンパンマンのキャラクター、これは端的に心の穴をよく表しているように思います。私はアンパンで、あなたに食べてもらいたい。消火器マンはとにかく火を消したくてしょうがない。それが料理に使うようないい火でも火事のような火でも、彼はとにかく火を消すことに生きがいを感じている。
人のこれがしたくてしょうがない、という心の穴からでる欲望こそがその人のが魅力であり、才能であり、これをマネタイズできた人が社会的成功を得やすいのかなと感じます。
自分の話になりますが、私はとても繊細なところがあり、他人に対してとても警戒心が強いです。
それでも境遇や話に感じ入ってしまうとき、すぐ心を分け合って傷ついてしまいます。この「感受性が強すぎて辛い」旨を友人に打ち明けた時、「それはあなたからは短所に思うかもしれないけど、長所にして長所よ。そんなあなたが大好きよ。」という言葉をかけてもらったことがあります。短所は長所。いい言葉ですね。墓碑に刻みたい。
こういった偏りのある自分をあるがまま認め愛する、というのは少し難しいのかもしれません。しかし我々はゲームをするとき、それから物語の登場人物を見るとき、よくできる蜘蛛の巣グラフの整ったキャラクターよりも、ステータスの飛び出ている偏ったキャラクターを愛さなかったでしょうか。(いや愛したよね。)
まずは自分を見つめ、自己受容することから欲望の因数分解が始まる。
そう私は考える。それに則って次の話題を見ていこう。
性的自己啓発
と深井龍之介さんは整理する。
みなさん、自分を幸せにできていますか。
そして相手の方の幸せに寄与していますでしょうか。
私がこういった裏アカと呼ばれるアカウントを運用して、コミュニケーションを取る中で皆さんを一番尊敬する瞬間は、自分の寂しさに正直なことです。みんなとても素直に寂しいと発信されます。私はそれを尊いと思います。
自分の寂しさに目を向けるとき、時に屈辱的でちっぽけである自分があまりにもみじめに感じる瞬間があります。
私もできることなら満たされていると発信したいし、満たされている自分でありたいというような見栄は常にうようよしています。でもそんな風に見栄を張ってしまえば、自分の寂しさは途端に見えなくなってしまいます。
そう、寂しいと発信できるみなさんは「自分を認めて初めて満たされる」とみんな肌感覚では理解しているのです。
じゃあその先は・・・・・・。
資本主義=さみしさ=性欲
農業ができた一万年前くらいから人間は社会を気付き、ぐっと人間になって行きます。(というのはサピエンス全史を読んだ人にはよくわかる話だと思いますが、簡単にいえば、狩猟を捨てて、人が農の奴隷として生きることを決めたんですね、よかったらサピエンス全史読んでください。)
冒頭に書いた、「ファルス信仰」とはいったいなんのことだ、と思われた方もいると思います。
男性の性器に限った話ではなく、女性器信仰もあったのですが、歴史が進むにつれ、原始女性優位から社会性が生まれ男性優位社会になるにつれ、ファルス、つまり男性器の勃起がもてはやされるようになりました。
どうでしょうか、みなさん自分の勃起に自信がありますか。
「大きくないから」「仮性包茎だから」「早漏だから」「遅漏だから」
ペニスについて質問をすると、みんな紋切型にネガティブなワードを返してきます。あなたはあなたのまま愛する人と愛し合えばそれでいいのになぜかみんなより大きな陰茎、より長持ちする陰茎、あるいは長持ちしすぎない陰茎、それぞれの理想の陰茎に固執します。人と比べて優位性を見出したいという方も散見されます。
勃起が幸せに人を幸せにできればいい
性の歴史は男が威張ってることでできてきた歴史であり、
二村さんは「なるべくみんなで気持ちよくなった方がいいよね」という快楽主義的なまとめをされ、この回は終わりとなった。
結びに。
じぶんの無能さ、できなさ、短所を受け入れ、愛することが幸せへの道かと思います。弱い自分を受け入れるまたは、弱い自分を見つめることにともに歩んでくれるパートナーの存在は大きく個人を充足させると思います。
男が誘導し、女を快楽に導くというのが主流だった今迄から、女が男を愛撫していいとなってきたこの20年で、ファルス信仰ももう捨ててもいいのではないかなと思います。
現に挿入なしのオーガズムでも十分気持ちはいいです。
心が通じ合えたと思うとき、声で、視線で、抱擁で、唇で、快感を与えあうことは可能です。
男性諸君は現実を、それまで形成してきた社会通念を捨てられますでしょうか。いえ、すべてを捨てろとは申し上げておりません。
一度捨てていただいて、それでも捨てきれないものを一緒に見つめて、新しい未来に進みたいのです。
古い価値観から是非とも脱却していただきたいと痛切に、ただ痛切に願います。
そしてただの意味を持たない、ただのあなたであるペニスを私は愛したいです。また傷を舐め合えたり、愛を育めたなら私は嬉しく思います。
理解できなかった欲望
※ここから先は有料コンテンツとなります。
ここから先は
¥ 500
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?