二次元の現実風妄想「ディストピア」
非常によくある誤解なのだが、
ディストピアというものは「いきすぎた理想」のことであり、
それ自体がマイナスの意味を持つ概念ではない。
そもそもユートピアとは管理のゆきとどいた理想郷、
民主主義や法治主義が徹底され、
誰もが理想的な人民として機能した結果である。
それに対してディストピアは、
合理性や管理の部分がいきすぎて、
人間味が殺されてしまった状態を指している。
すなわちディストピアは資本主義や科学文明への批判ではなく、
むしろ共産主義のようなものを指している。
理想のために都合の悪い奴を大量虐殺する「管理の徹底」。
本来ならば誰もが理性的であれるはずだが、もちろんそんなことはない。
自分のことは理性的な存在だと勘違いしている輩ほど、
学校のテストでさえ満点が取れないオツムで常識人を名乗っているものだ。
理性的な人間であれば耳に痛い言葉を聞いたくらいでキレたりしないし、
たとえ周囲が愚民そのものでしかなかろうと、
自分こそが賢明なる指導的地位にふさわしいなどと思い上がることもない。
ユートピアは、相互に理想的であることでしか完成しない「現実」であり。
ディストピアは、相互に理想的であった結果生じる「理想」であり。
トイレと食事の休憩時間を、
誰もが同じタイミングで当たられて、
その通りに食事とトイレを済ませられる世界は、理想的だろうか?
理想的かもしれないが、
誰も風邪にも便秘にも下痢にもならないことなんて、ありうるのか?
ありえた世界がディストピア、ありえない世界がユートピア。
人間の不完全さを織り込めるのがユートピアで、
人間の不完全さを許容しない・できない・させないのがディストピア。
そこんところを勘違いしている人が大勢いるから、
「ディストピアもの」を作るなら、
本来の定義に立ち返るだけでも斬新さは示せるだろう。
それこそ、
護憲派とは保守派のことだから右翼相当であり、
改憲派とは改革派のことだから左翼相当であるのと同じこと。
今の日本だと改憲派左翼の自民党が右翼呼ばわりされているが、
あれはソ連(ロシア、中国、韓国などの東側レッドチーム)特有の、
敵に貼るレッテルの名前でしかない。
「自分の敵を愛国右翼呼ばわりする」のも、
「愛国主義と右翼は危険だ、好戦的だとレッテルを貼る」のも、
よく見れば反日反米(=親露親中親韓)派だけが叫ぶものにすぎない。
かくして厳密な定義、本来性、原理原則などを冷静に考え直すだけでも、
一般的な感性を鋭く抉ることは十分に可能だといえる。