二次元の教訓「SF小説が廃れた理由」(3123文字)
これは某SCP財団にも関わってくることでもあるし、
世界的にmangaが評価されcomicが衰退してる理由でもある。
まあ、とても根深い問題なのだ。
すごく簡単に言うと、
古参ヅラしてる連中が何にでもケチをつけまくった結果、
「何をやってもすぐ叩かれる」から、誰もが敬遠して、廃れた。
SF(ScienceFiction)小説が近現代において急激に発達した背景に、
手で触れて目で見えるレベルの科学的進歩があったのは、
まあだいたいの人が想像できることだろう。
100年前の人類は携帯電話どころか電話機自体が珍しかった。
30年前の人類にスマホを見せたら腰を抜かすだろう。
今のスマホは充電ケーブルすら不要になりつつある。
大人でもワクワクするほどの進歩が、
子供にだけわからないなんてこともなく、
科学の可能性は想像力と共に描かれ、磨かれ続けてきた。
しかし第二次世界大戦を経て、緑の革命で食糧事情が劇的に改善され、
人口爆発が起こってからの人類は、
もはや想像力よりも現実が先を行くようになってしまった。
一般庶民でも広く深く科学的教養を得られるようになってからは、
作家「ごとき」(あえてこの表現を使う)の科学的教養では、
読者の中にいる博士号持ちや専門家には太刀打ちできなくなったのだ。
かつては想像力だけが描けたはずの未来予想図はもはや、
現実に作れるものよりも非現実的になってしまったのだ。
かくして、あくまでも科学性を伴った空想作品であるSFは、
読者側のほうが賢くなったこともあり、
現実が空想を置き去りにしたこともあり、書きづらくなってしまった。
権威とされる作家、作品、作風が固定化されては、
それらの原則に逆らってはならない、逆らうものは駄作だと、
ファンのほうで勝手に権威化が進むと、やれることが劇的に減る。
少なくとも商業的にやれる範囲は、表現規制その他で狭められる。
そこから更に客側から勝手に制約を課してくるのだから、
もはや手をつけるだけ無駄だと、やる気自体が挫かれてしまう。
そこに、SCP財団の自滅、comicの衰退、SF小説の滅亡が集約される。
理由はそれぞれ異なるが、根ざしているものは同じなのだ。
キリスト教的な、アブラハムのgodありきの宗教的価値観と文化が、
「我々はこうあらねばならない」と勝手に全てを規定しにくる。
SFは科学ではなく科学っぽいものなのだから、ドラえもん並の理屈でいい。
「こんなこといいな、できたらいいな」だけでいいのだ。
なのにSF小説は「そんなことできない!」になってしまったのだ。
SCP財団もポリコレ配慮を繰り返すうちに、
「最初期の設定を遵守しないものは認めない!」となり、
新規参入の面白みが、ファンコミュニティにより破壊検閲され始めた。
comicは作家ではなく企業が権利を有している都合上、
社会風刺を入れつつポリコレ配慮をせざるを得ない作風により、
何度もリブートされるたびに設定が別物になり陳腐化は不可避だ。
※リブート:同一設定作品をもう一度別の物語として紡ぐこと。
原作・旧作をなぞる「リメイク」との違いは、
リブートは名前と基本設定だけ同じ全く別物になることもある。
面白さのために作られたものを楽しむ場で、
面白さより優先すべきものがあるなどと言い始めたら、
「お前だけヨソ行ってやれよ」となるのは当然だ。
だが自称ファンは「俺たちこそがこの文化を支えたんだ!」と怒鳴る。
だからマトモな奴と作りたい奴だけが出て行かざるを得なくなり、
SFなりcomicなりという、せっかく知れ渡った看板だけが使えなくなる。
これは現在の日本の、特にネット上での創作活動にも似た傾向がある。
いわゆる「なろう系」に対する罵詈雑言がまさにそれである。
何かを作りもしない連中が必死に罵倒し、看板を潰そうとしている。
確かに「なろう系」文化は何かが少し流行ると皆一斉に殺到することで、
粗製乱造のゴミクズ作品だらけになるという、度し難い特徴を有する。
だがそれは、comicやSF小説が衰退した原因に真っ向から逆らうものだ。
誰も作らなくなったらオシマイなのである。
作ってる人が自己批判をするならまだしも、
作っていない人がヤジだけ飛ばせば、誰も作らなくなる。
・・・・・・この流れでピンときた人は、まともな感覚の持ち主である。
いうまでもなくポリコレ野郎(SocialJusticeWarrior)にしろ、
作りもせずに文句だけは言う連中にしろ、
「奴ら」は、共産主義者だのパヨクだのという名称で呼ばれる輩だ。
そもそも「リベラル」とは社会主義者の別名にすぎず(定義)、
社会主義者とは非共産党員の反資本主義者であり、
共産党員の下につきたくないだけのアカいテロリストにすぎない。
奴らは資本主義と競争原理のもとに築かれた社会において、
その恩恵に与っておきながら、
(無能な)俺が評価されないのは社会のせいだと言い張る。
社会の構築に何一つとして貢献していないくせに文句だけは言う。
何も作ってない奴がケチだけつけて和を乱す。
まさしくSF小説が廃れた理由そのものである。
酷い言い方かもしれないが、
誰かが供給するから、娯楽コンテンツは存在できている。
誰も供給しなくなったら、娯楽なんてものは自然消滅してしまう。
作ってくれる人には常に最大限の敬意を払いつつ、
よほど悪質ないし有害なわけでもないなら、
どれだけクソでも、「それしか餌がないなら我慢して食う」。
それは、全ての娯楽文化に対する必須条件だ。
どれだけダサい服しか売っていなくても、
作ってくれる人がいなくなったら全裸で過ごすことになる。
カッコいい服が欲しいなら、それを誰かが作らなきゃいけない。
欲しいなら、作れ。
文句があるなら、自分でやれ。
だからこそ面白くもないものを話題にしろと強制されたら、
誰だってそんなものはお呼びじゃないわけだから、
自然と人が去っていくわけだ。
いわゆる「コミュニティの一生」である。
最近だとジャンプラ(ジャンプ+)漫画が特に顕著で、
やたら「『話題になってる』という話題」が飛び交うが、
一定期間を過ぎたら、話題だという話題すら一斉に消滅する。
いわゆる「ステルス・マーケティング」、ステマそのものである。
面白いからこそ愛好してるのに、
面白くもないものを売りつけようとするな。
何を買うのかはこっちで決めるんだからお前らは呼んでない。
出版、芸能、報道あたりは押し付けがましい傲慢さゆえに、
自分たちの客を自ら食い潰しては逃げられて、
不況に喘いでなお、なぜ客が逃げたのかを理解しようとしない。
面白さは貴様らのようなエリート気取りの阿呆が生み出したのではなく、
貴様らがバカにしている愚民が生み出したものなんだっつーの。
話題を作っているのは俺たちなんだという驕りを捨てろ。
作品を作る奴だけが一番偉い。それ以外は全員等しく無価値だ。
その驕りが、あらゆる創作を殺すんだ。
SF小説も、純文学も、パヨク作家を権威化しようとしては自滅する。
芥川賞にしろアカデミー賞にしろジャンプラ漫画にしろ、
面白かったら客が勝手につくということを忘れている。
お前、そんなもんを本当に面白いと思ってんのか?
そんなもんを面白いと本気で思ってんなら、
お前の評価なんか今後一生アテにできねえから、
俺はもうお前とはこの話題を共有したくねえよ。
そうやって客が去り、文化が、ジャンルが、自然と死んでゆくのだ。
これを書いている人間は、
シナリオライターから官能小説家まで一通り経験し、
今は疲れ果てて、匿名で細々と活動するのみである。
だが、だからこそ、
作りもせずに文句を言う連中の有害さは、
誰よりもよく知っている。
欲しかったら自分で作れ。
それだけがオタク世界の、二次元の、唯一絶対の教条である。