
イクチオステガとこころのもやもや。
不満だらけの自分に、不満をゆるしてから、
息がしやすくなったと思う。
割り切れない気持ちも、
心のモヤモヤも、
ふつふつと湧き上がるやり切れなさも、
そのままをよしとして、ありにしてみたら、
居心地がよくなった。
それらも自分の一部だったんだなあ。
それを切り捨てよう、消し去ろうとしてたから苦しかったんだなあ。
土曜日に受けた保育講座も手助けになった。
【しぜんな保育としぜんな暮らし】
の中で講師の小西貴士さんが話していた【コロナが気づかせてくれたこと】
「見えないもの、分けられないものともつながろう」
分析できないもの、未分化なものも「在る」んだ、ということ。
そこに立つと、不思議な安心感が生まれてきていることに気づく。
未分化なものも受け入れて、
理解しきれないものともつながっていく。
息子がはまっている太古の生き物たち。
イクチオステガやディメトロドン、エレクサエレトドンとかがいた頃。
もしくはそれよりも以前の、未分化な生きものがいた時代。
(下は折り紙のイクチオステガ)
そこに戻っていくのかな?
命の根幹に触れたような感じ。
わたしの中にも、太古の生き物たちがつないできた命の輪が生き残っていて、
太古の海に漂うプランクトンみたいに、
単純に生きるだけでたくさんの生き物を支えてきた歴史があって、
わたしも今も生かされている。
未分化な感情たちは、シアノバクテリアみたいなもの。
はっきりとしたかたちはもたず、生きてそこにあるだけだけど、生物圏(こころ)を豊かにしている。
だいぶ飛躍したかな?
もはや子育てコラムでなくなってきたな(^o^;💦
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