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いまできることは、なにもしないこと。

1/1に発生した能登半島地震、1/2に起きた羽田空港での日航機と海上保安庁の航空機との衝突炎上事故、と立て続けに痛ましいことが起こりました。被災された方々に心からお見舞い申し上げるとともに、みなさまのご無事と安全とともに、一日も早い復興をお祈り申し上げます。

元旦の夜はほぼ全てのテレビ局が報道特番に切り替わり、特にNHKの山内泉アナウンサーは厳しく強い口調で避難を呼びかけました。画面には「逃げて」の文字が強調されており、その緊迫さと非常事態である認識を多くの国民が持てたと思います。

残念ながらXでは善意と正義の応酬が始まりました。
騒ぎ立てるのはいつだって当事者ではない人たちです。

命がかかっている局面で信じられないような言葉を放つ者もいれば、真偽のわからない救助要請のリポストを繰り返す者もいます。もちろん本当に助けを待っている人もいます。通信インフラが遮断され、SNSでしか連絡手段がない方も大勢いたでしょう。あまりにも大量の情報を異常事態の中で受け取る中で、正常な判断はむずかしくなります。現地にいないものが情報の真偽を声高に叫ぶのはあまりにも無意味です。

私は今、東京にいます。
被害に心を痛め、心配する気持ちはありますが、今自分ができることは何もありません。

もし、私に力があって重いものを運んだりすることができたとしても、重機を動かしたり大工仕事ができたとしても、医師だとしても、料理人だとしても、コメディアンだとしても、今統制の取れていない現地に行くことはただの迷惑でしかありません。

だから、今はなにもしないことが最良であると信じています。

力になれる日は必ず来ます。それは人的支援かもしれませんし、寄付かもしれません。何か自分の得意とする能力が役に立つかもしれませんし、たまたま持っていたものが誰かの力になるかもしれません。

お見舞いの気持ちを吐露することも、何かの情報をSNSで発信することも、それは何かをした気になるだけです。私はそれらの行動が実際には何の役にも立たないことを知っています。神戸のときも、東日本のときも、私は思い知りました。自分がしていることはあまりにも無力であることを。

だからこそ、冷静になって、安全なところにいる自分は普段の生活をしなければなりません。被災された方々のことは考えながら、自分が何かをできる順番が来たら、そっとそれをすればいいのです。誰かを誘う必要もなければ、自分はこうしたいと強く発信する必要もありません。

優しさや誠意は、ときに歪んだ正義になることがあります。

能力や体力があれば力を、それがなければお金を、それもなければ決して邪魔だけはしないこと。偉そうにコメントしたりしないこと。今できることは、なにもしないことです。私は自分がなにかできるときまで、しずかに待ちます。決して忘れたり見捨てたりはしません。

小説や新書、映画や展覧会などのインプットに活用させていただきます。それらの批評を記事として還元させて頂ければ幸甚に存じます。