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くるりのおんがく


汽笛の後に、車輪の枕木を打つ規則的な音が聞こえてくる。

梅小路公園でステージを望む。左を向けばイルカショーの観覧席が見える。こちらからは水槽は見えないけれど、水面からジャンプしたイルカが、一瞬、こちらに背中を見せる。歓声が上がる。

小さな裸足が水面を勢いよく打つ。風が吹いて、鳥が木の枝から飛び立つ。飛び散った水飛沫が水面をやさしく叩く。遠くで、救急車のサイレンが聞こえる。


なんとなく音楽を作ったら、子どもの頃によく両親の車で流れていたあの曲と似ていた。なんとなく文章を書いたら、あの人のエッセイと雰囲気が似ていた。「必然性」という言葉の意味を思う。その場所で、その瞬間に、その人だけにしか作れなかった音楽や歌詞がある。


人は、なんでも知れることが分かったから、好きな音楽だけを聴き、好きな映画だけを見、好きなことだけを信じるようになった。安全圏で、自分の手のうちに収まる世界だけを愛して生きていくことを、美化するのをやめてほしい。


参照する。甘い匂いのするような音楽も、騒々しくて耳を塞ぎたくなるような絵も、眩しくて目を背けたくなるような詩も、全部お互いに参照しあえばいい。ジャンルも国籍も文化も言語も時代も、全てを隔てる境界線がなくなっていく。



ぼくははじめから想像力のはなししかしていない。


くるりを聞いてほしい、結局世界を救えるのは、政治でもイデオロギーでも思想なんかでもなく、想像力だと思うので。


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