野生動物への福祉ーー動物のQOLーー
皆さんは、QOL(Quality of life)をご存知だろうか?
これは主に医療分野、終末医療の現場において使われる指標のひとつで、「クオリティ オブ ライフ」の言葉通り「人生の満足、幸せの質」を評価するという概念だ。
例えば末期がんの患者の場合、生き続ける為に苦しい治療を続けるのか、それとも残りの時間を充実させて過ごす為の治療をするのか、そんな葛藤に悩むことがあるだろう。そんな時、QOLでは機械的な延命よりも、本人の幸福度を優先した終末を過ごしてもらうことに重点を置く。その患者の人生を最後まで尊重する終わり方を提案するのだ。
そして、このQOLの考え方、実は動物相手にも通用するものである。
人間に利用される動物ーーー食用としての家畜、研究に用いられる実験動物、動物園などでの展示動物、人に飼養されるペットといった、利用されることが前提の動物に対して、
「動物福祉(Animal welfare)」
という思想が、欧米では1960年代から認知されている。
動物福祉とQOLはもちろん別の概念だが、この場合は動物福祉の中に動物を対象としたQOLが含まれることがある、という認識でいいだろう。
動物福祉には、畜産動物への「5つの自由」と、
実験動物への「3つのR」の理念が代表されている。
「5つの自由」
①空腹 及び渇きからの自由 (給餌・給水)
②不快からの自由 (適切な飼育環境)
③苦痛、損傷、疾病からに自由 (予防・診断・治療)
④正常行動発言の自由 (動物本来の行動の自由・心理的な満足)
⑤恐怖 及び苦痛からの自由 (取り扱いの適切さ)
「3つのR」
Replacement(動物を用いる研究実験の、非生物学的な実験への代替)
Reduction(科学的に必要な最小限の動物の使用)
Refinement(動物の苦痛削減・安楽死措置への環境改善)
例えば、ウシやブタといった家畜を狭い柵に閉じ込めないで、一頭一頭に十分なスペースを与えることは、「5つの自由」の②に当たる。実験用ラットを使わなくても結果が出る方法へと研究手段を切り替えることは、「3つのR」のReplacementだ。
動物にかかるストレス負担を減らして良質な条件と環境を与えることで、動物が感じるだろう満足感や充実感を向上させるのだ。
「どうせ殺すのに、そんなことして何の意味がある?」と考える人もいるだろう。だがこの動物福祉という考え方は、「人間の利用」と「人間による殺生」を前提として成り立っている。つまり、殺すからこそ配慮するということになる。
この概念の原点は、利用する動物をかわいそうだと思う人の情動であると言う。人間による利用と殺生を認めながら、それまではより幸福に生きて欲しい、という一種の善意がそこにはある。
「眠るまでの時間に充足と幸せを」という心遣いは、人間相手のQOLと通じるところがあるようにも思う。
ちなみに、そんな動物福祉が適用されない動物もいる。
それが野生動物だ。
それは何故か?
野生動物は、人間の手中にある時以外は完全に人為の外側にいるからだ。彼らは彼らのままに生きており、そこに人間からの干渉や加護は必要がない。自立している存在を相手に、人間側が同情を感じる必要もないのである。
注意しなければいけないのは、人間の捕獲にあった野生動物に関しては、動物福祉やQOLの適用ができる点だ。
「日本野生動物医学会」は、対象とする動物のQOLの確保が、動物福祉の目的だとしている。
人間の手がかけられた以上、その動物の命に配慮し、なるべく苦しませないように処分するという献身が、野生動物を殺す現場には望まれているということだろう。
鳥獣害対策の現場に出るようになってから、私は、
「有害駆除の従事には、有害駆除なりの倫理観が必要じゃないか」ということをずっと考え続けていた。
一般的に、有害駆除の現場には猟友会員が関わる。銃の所持許可もワナの免許もあらかじめ持っているからだ。しかし普通の狩猟者と有害駆除の従事者では、立場が根本的に異なっている。
狩猟者にとって、狩猟は趣味だ。射撃の腕を確かめることも、お肉を美味しくいただくことも、あくまで個人活動だ。
一方で有害捕獲駆除とは、人々の生活に被害が出ないようにする為の仕事だ。それは社会活動だ。
いくら被害防止、環境保全、鳥獣の数を安定させる為とは言え、人間の理屈で鳥獣の命を奪っているということには変わりない。
それが社会的に認められる活動として成り立つには、駆除に対する責任感や倫理観を、従事者が持っていなければならないと思う。
もちろん、ほとんどの従事者はそれを持っているだろう。
その思いがQOLにつながることが、望ましい。
2021.3.16