人的被害のハウツー 2
野生動物が市街地に出没するという事態は、最近はメディアで大きく取り上げられるようになっている。
それは、それだけ鳥獣の出没が話題になるということであり、
同時にそれだけ注意喚起をしたい事柄でもあるのだと受け止めて欲しい。
イノシシ、サル、シカ、そしてツキノワグマとヒグマ。
こういった獣と人が出会うと、突発的な事故が起こりかねないので、とても危険だ。
申し訳ないことに、私はヒグマの知識が浅いのでその対応法の提案はできない。
それ以外についての対応を、シミュレーションしてみようと思う。
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CASE.1 農地に入っていたサル群れと遭遇
この場合に避けなければいけないのは、不用意にサル群れに近づいていくことだ。
サルの方ではまず、「あの人間は危険か、危険じゃないか」という判別でもつけているのか、一定の距離を開けてこちらの様子を観察してくる。
この時、手元に追い払い用ロケット花火や爆竹があれば、追い払ってしまうのがベストだ。「この人間は脅かしてくる」とサルが覚えれば、その後の追い払いもやりやすくなる。余裕があれば森へ逃げ込んだサルを追い立てて、花火を打ち上げるのもいい。
しかし無遠慮に近づいていくだけだと、サル側の緊張が高ぶった途端に、ぐるりとオスザルに囲まれることがある。
四方八方から威嚇されて攻撃体勢を取られる前に、その場からゆっくりと下がるべきだ。背中を見せるのは良くないので後退りしていこう。
若いオスザルは好奇心もあって、少し追いかけてくるかもしれないが、群れから離れすぎることはしない。
とは言え、サル群れはその人慣れ具合や加害レベルによって、人間への対応は大きく変わる。
できるならばサルの数に負けないよう、大勢で集まってサルを追い払ってもらいたい。サル群れの防除は、一人でやるより複数人の方が効果がある。近くにいる人に声をかけて集まってもらうようにしてみよう。
CASE.2 町に出てきたイノシシ
イノシシが町を歩いていることに気づいたなら、まずは物陰に隠れよう。足元を隠せるような低めの看板などがいい。
と言うのも、イノシシが興奮と狼狽に駆られて攻撃してくるとしたなら、それは人間の足元だからだ。
イノシシの牙は人間の肉を裂くので、場所が悪ければ出血も多くなる。
それにイノシシは重心が低く、足に噛みつかれれば人間は簡単にバランスを崩して、引きずられる。その結果死亡してしまうこともある。
イノシシの出没に出くわしたら、まず安全の確保をしておきたい。
CASE.3 ワナによる錯誤捕獲
シカとイノシシの捕獲に使われる、くくり罠という物がある。
地面にワイヤーの輪を置いておき、鳥獣の足がその中を踏み抜けば、ストッパーが外れてワイヤーが締まるという仕掛けだ。
しかしこのくくり罠には、カモシカやツキノワグマが意図せずにかかってしまうということがある。これを錯誤捕獲と言う。
(カモシカは天然記念物で捕獲禁止、ツキノワグマもくくり罠による捕獲は狩猟法で禁じられている)
錯誤捕獲の対応には危険が多いので、「かわいそうだから」と一人で何とかしようとするのは絶対にやめてもらいたい。2020年にも、錯誤捕獲したカモシカの角で足を刺されて、亡くなった方がいらっしゃる。
クマに近づこうとする人はさすがにいないと思うが、くくり罠を固定しているワイヤーが、暴れる獣のパワーに負けてちぎれてしまうことがある。
そうなったら荒れたクマが襲いかかってくることもあるので、もし錯誤捕獲を見つけたら、すぐに安全な場所へ移動しよう。
自治体の鳥獣害対策の担当者に連絡をして、事情を説明するだけでいい。
県の管理計画によっては、麻酔銃による鎮静化と放獣を定めている場所もある。自治体担当者と猟友会が、現場の検分にも訪れるはずだ。後は彼らに任せれば大丈夫だ。
CASE.4 市街地でのツキノワグマの出没
この場合できれば控えて欲しいことは、
クマの出没に興味を持って現場を見学したり、クマが珍しいからと騒がしくすることだ。
大勢の人間に追われているという危機感は、こちらが思う以上のプレッシャーとストレスをクマに与えてしまっている。それは興奮状態を引き起こす上に、攻撃衝動にもつながりやすい。
それによって危ない目に遭うのは、前線に立つ麻酔銃の射手や猟友会の人員だ。
クマが興奮していれば麻酔薬の効き目も遅くなる。投与から10分以上を見ないとクマはきちんと鎮静化しない。それまではなるべく静寂を保ち、不要な刺激をクマに与えるべきではない。
それに、現場に近いところにいれば、猟銃の跳弾が飛んでくる可能性だってある。その不慮の事故が心配で、猟友会の人員がクマに対応できなくなってしまう。
速やかな事態の収集の為にも、遠い場所から、静かに成り行きを見守っていてほしい。
CASE.5 山中でのツキノワグマとの遭遇
山菜採り、きのこ採り、釣り、山歩きの中でも、山菜のシーズンにはクマとの遭遇が起こりやすい。クマも人間も山菜に夢中になって、お互いに気づきにくいからだ。
ではいざクマの間合いに入ってしまったことに気づいた時、人間はどういう対応をすればいいのか。
やってはいけないのは、背中を向けて逃げること。
覚えておくべきなのは、首の後ろを守ることだ。
まずはクマがその場からいなくなることを期待して、ゆっくりと後退していこう。
もしクマが突進してきたら、逃げても追いつかれるだけなので、地面にうつ伏せになってしまったほうがいい。うつ伏せになることで体の前面を隠し、さらに両手で首の後ろを覆って、頸動脈を守る。そしてひたすら耐えよう。反撃は功を奏さない。
だがまず何よりも、クマと出会わない為の最大の努力をお願いしたい。
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さて、以上5ケースの対応を述べてみたが、
もしかして皆さんはこう思っただろうか。「この人、それだけ野生動物で危ない目に遭ったことがあるのかな?」と。
拍子抜けかもしれないが、私はまだ修羅場はくぐってないんだな。
サルとクマの捕獲に関わっていても、攻撃を向けられたことはない。というかその可能性があると現場から避けられる、下っ端としての運命がある。
私が師事している(と勝手に思っている)先輩方は、フィールドに長くいるだけ鳥獣との接触が多い。その経験談や知識から考察して、野生鳥獣と遭遇した時の対応策の例を書かせてもらったということだ。
そんな先輩の中には、クマに襲われて死にかけた人もいらっしゃる。ケース3で紹介したように、錯誤捕獲のクマがワイヤーをねじきって、麻酔銃の射手だったその人を襲った。頭蓋骨をぶん殴られて昏倒、今は「生きてて良かったよー」と笑いながら、相変わらず麻酔銃でクマの放獣の活動をしている。
そういう世界なのだ。
野生動物に殺されるかもしれない世界。それに文句を言えない世界。
私たちの仕事場は、人間社会よりも、野生動物社会のそばにある。
だから私たちは野生動物並みに慎重になって、物事に当たらないといけない。
皆さんも、どうか覚えておいて。
私たち人間と野生動物は考えていることが全く違うということ。
それでも同じ日本の国土に住んでいるんだということ。
そんな両者の間を何とかして取り持つ為に、野生動物に関わる従事者がいるんだということ。
私たちが望んでいるのは、両者の平穏なのだから。
2021.3.25