新宿毒電波通信 第二号 「この家無を見よ」Vol.2「悲劇の誕生」
アウトドア哲学 この家無を見よ
悲劇の誕生
鶴内手刀
生きることはカネを支払うことだ。ただ生きているだけで金銭を支払わねばならない。居酒屋でビールを飲みとんぺい焼きを食った場合、金銭を支払うのは理解できる。しかし家賃はいったいどういうことなのだろう。そこに暮らすだけでカネを支払わないといけないというのは、結構すごいことなのではないだろうか。私はながらく当たり前に家賃をおさめてきたが、腹が立ってきた。なぜ生きるために働かなければならないのだ。生きているだけで私たちは素晴らしいのではないのか。
私が若い頃働いていた運送屋では、人手が足りない時は当日ホームレスのおっちゃんを捕まえて現場に行き、共に労働し、日当をその場で支払っていた。「この金でちゃんと風呂入ってこいよ」と伝えてもおっちゃんは翌日も臭いままでニコニコしていた。彼は公園やガード下で暮らして、たまに働いたら酒を飲んで簡易宿泊施設に泊まる。若かった私はこうはなりたくないなと思うと同時に、彼の暮らしに少し興味があった。私は私であり社会ではないので、社会の外でも私であることができるはずだ。
その後のっぴきならない事情で私は少しの間ホームレスになった。