妊婦になったOL
100万回生きても、子どもを産む世界線には生まれないと思っていた。
そんな私が今は妊娠7ヶ月で、胎動に笑う日を過ごしているなんて言ったところで、1年前の私は絶対信じない。
妊娠初期の話をすると呪詛が漏れ出るため、今回は省略しよう。
最近は"電車に乗る際に妊婦バレしない"ように、ひっそり手でマタニティマークを隠しながら乗っている。どこの吊り革を持って立てば色んな人の脳のニューロンを刺激しないか、に少ない己の知恵を毎日絞る。
というのも、自分が想像していたよりも席を譲ってくれる方が多いからだ。それはほとんど年上の女性や子ども連れ、妊娠出産経験がある人たち。時々学生さんや、何も言わずに無言で席を立ってくれるサラリーマンがいて、有難いなと思う。
最近はつわりもほぼ無くなったものの、腰痛と胃の圧迫による吐き気、聴覚の不調、体重増加によるバランスの取りづらさ、脚のむくみがあるため、席を譲って貰えるのは本当に助かる。
助かるし有難いなと思う反面、無理に譲らせてしまっていたら申し訳ない、気にしなくていいのにと思う気持ちもある。いわゆる心が2つある〜!状態。
世間では"妊婦様"と、妊娠中の厚顔な態度を揶揄する言葉があるのは知っているが、私のようにささやかに生きている妊婦もいることは知って貰えると嬉しい。
ただ、"ささやか"を自称するほど胡散臭いものもないので、私は除外されるべきであろう。
後ろから見ると妊婦だとわからないみたいで、通勤中にぶつかられることもある。
上り階段がしんどいのでエレベーターを使う機会が増えたものの、ドアが閉まっているのに走ってボタンを押して、無理やり乗ってくる健康そうな人も多いんだなと知った。押しのけて順番を抜かし、我先に乗り込む人もいる。
その一方で、降りるまで静かに開ボタンを押し続けてくれる青年もいれば、先にどうぞと譲ってくれる人もいる。
いわゆる"弱者"と呼ばれる立場に突然なったところで、世界には優しい人と気づく人、そうでない人がいることは変わりがないなと思う。
OLから妊婦と呼ばれるようになっても、万人にとっての私の見え方が変わるだけで、その人たち全てが私に対して突然親切になるわけではない。親切な人は親切で、そうでない人はそうでないだけ。
そしてそれは弱者側もそうだ。妊婦になったからといって、急に心優しく菩薩のようになることはない。子どもの金切り声にイラつき、ぶつかられたら舌打ちも出る。嫌なことをされればキレるし、優しくされれば嬉しい。
妊娠初期に直属の上司以外には体調不良とし、三週間ほど休職したのだけれど、「自分が何かしてしまったのでは」と相談にくる男性社員が2名いたらしい。
「自覚があるならなおしてほしいですね!」と笑顔で返答した私は未だに厚顔な側なんだろうな。
今の自分ができることは健康な時と比べてほとんどなくなってしまったが、それでも親切な気付ける側の人間になりたいなと思っている。
そんな妊婦になったOLの、最近思うことでした。
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