LA BREVA 〜コモからの風〜 #2
第2回 少女からの手紙
今回は、コモ市のLaura Clerici(ラウラ・クレリチ)さんの話です。
1975年の姉妹都市締結の直前の2月に「ペンパル(文通友達)として私と同じ年の何人かの子どもたちの住所を教えてください」という手紙が春日由三市長に届きました。コモから届いたその手紙の送り主は、9歳の一人の少女ラウラさんでした。これは、大きなニュースとなり、友好ムードを一層盛り上げました。十日町市では、ペンパルとして木内聡子さんが選ばれ、二人の少女の手紙を通した交流がスタート。文通を通した丁寧な交流が一つの友情を作り上げました。43年経った今なお、お二人の交流は続いています。
▲ 木内聡子さんと(1981年)
1981年、ラウラさんは十日町を訪問するスパリーノ市長と一緒に、初めて十日町にやって来ました。文通を始めて6年、ペンパルの木内さんと初対面。その後も1994, 1997, 2015年と来市しています。
▲ コモ市役所での調印式に招かれたラウラさん(1975年)
十日町市にある“あてま高原リゾート・ベルナティオ”は、十日町市と民間企業の出資による第3セクターで設立された会社により運営されています。欧州のリゾート地として有名なコモを参考にもしており、1994年には視察団も派遣され研究しておりました。リゾートの名前の”ベルナティオ(BELNATIO)”は、イタリア語のBel Paese Natio=「美しきふるさと」にちなみ作られました。
▲ 木内聡子さん、渡辺さんと一緒に(1981年)
実は、このベルナティオのロゴマークをデザインしたのが、大人になったラウラさん。文通から始まった交流が、十日町を代表するリゾートのロゴデザインにまで発展して来ました。
コモでも十日町から使節団が訪れた際には、毎回笑顔で迎えてくれ、交流に参加してくれます。コモにおける姉妹都市交流の担い手の一人として常に積極的に交流を進めてくれています。
母親になったラウラさんは、姉妹都市締結40周年には、お子さんと一緒に来市しました。幼い頃から、十日町からの使節団と度々顔を合わせており、多くの人が彼女との再会を喜びました。
▲ 到着したスパリーノ市長(当時)と共に(1981年)
今日、実際の行き来と共に、多くの両市の友人達がSNSなどを通しても交流しています。ラウラさんが送った一通の手紙をきっかけに始まった文通という交流の1本の細い流れが、二人の少女や関係者の継続の努力によって、枯れずに続いて来たことにより、また、技術の進歩も追い風となりながら、今、交流の大河になって来たように感じます。