堀部安兵衛とイタリアの数奇な縁 #2
第2回 イタリア大使館に行きたい! 越後生まれの赤穂浪士・堀部安兵衛 武庸は、吉良邸討ち入り後の元禄16年2月4日、幕府より切腹を命ぜられます。伊予松山藩邸にお預けの身となっていた安兵衛や大石内蔵助の息子・主税を含む10名は藩邸の庭先で切腹し、命を終えていきます。この藩邸の跡地が現在のイタリア大使館です。
安兵衛が切腹をした場所は、掘り起こされ池となり、この掘り起こされた土で庭園内に築山つくられました。そして、この地がイタリア大使館となったのは昭和7年ですが、昭和14年に