太陽の女YOHKO㉝ ニイガタ愛、舞物語~
『じんべえ』の松たか子の義理の父役で、の結局はN.Yでまったりと恋物語が動くラストがハマっていた、田村 正和さんと、がんばる僕達に贈る協奏曲を~
☆前回のエントリーのラスト、余計なお世話だと思う方が大半だと思いますが、優しい一面もあるんですね。それも一方的な優しさですが。
の坂野さんの辛口なのか、感心なのかのコメントですが、この『ニューヨーク恋物語 』や『じんべえ』には、古き良き時代のお節介がちりばれている。
『ニューヨーク恋物語』は、結婚を約束した男を、別の女に奪われ、そのショックと、世間体を気にして日本にいられなくなった、岸本加世子が、N.Yで、いとこの桜田淳子と、彼女のームメイトで、同じ会社の韓国人OL・美姫としばらくの間共同生活を送る。
田村正和のことが気になっていた美姫が彼に冷たくされ、自殺しようとしたので、、岸本加世子が田村を訪ね、「女をおもちゃにしないで」と忠告するも、マンハッタンの夜空を焦がす花火のアメリカ独立記念日の夜、田村に強引にキスされる。
加世子が帰国し、1年後髪を少し切り、キャリアウーマンらしく、、ニューヨークに出張するも、田村は浮浪者同様に落ちぶれ、家賃を払滞納したままだった。
佳代子は田島の看病や身の回りの世話を全力でするが、かつて好きだった女性と、その娘などいろんな女性が相変わらず絡んできて、「どうせわたしは看護婦です」と言う加世子を田村は抱きすくめキスをする。やっと恋が実った。しかし、加世子は田村が元気になるにつれ、自分か、もとのプレイボーイに戻るのを予感する。
「俺のそばで、パートナーとして仕事を手伝ってくれ」という田村に加世子は、「あなたとはきれいな思い出のままで別れたい」と言い、日本に帰る決意をする。
が空港に田村が来て、ダンスを踊り、あの時の花火はキレイだった、君を愛している、やっぱり一緒にいたいと最後まで引き留めるも、結局は、加世子は日本でまた新たにスタートする決心をし、笑って泣いて別れ、井上陽水の リバーサイドホテルのエンディングで幕が閉じる。
『じんべえ』は当時1998年の月9にしては、少し地味なホームドラマ的な感じがしたものの、主人公の大学教授の高梨陣平(30代終盤)は、死別した妻の連れ子である高校生の美久と2人暮らし。親子の関係を大切にしながらも恋愛風味を感じさせて進行するあだち充の漫画原作ぢラマで、この親子に絡むのが、高島礼子と草彅剛つまり父娘のライバルだ。
松たか子が20代前半の大学生役だけあって、ゆっくりドラマは進行していくのだが、「私はじんべえのことが一番好きなのに!…お父さんとしてなんかじゃない、私はずっとずっと昔からじんべえのことが好きなの…」。
これは普段の家族の団欒で少しせっぱつまった彼女が父に告白するという、ホームドラマ上での告白だと、TV雑誌で評価されていた。同僚の森本レオに相談した陣平は、「美久ちゃんはお前といるのが一番いい。愛しているなら手放しちゃだめだ。」とこれまた冷静にお節介。
やがて仕事で陣平がニューヨークへ行くのだが、最後に森本レオは、「お前と美久ちゃん。血がつながらなくても、こんなに好きならずっといい親子でいたらいいのにと思ってた。でもそうじゃない新しい関係があってもいいんじゃないのか?」と意味深なことを言い陣平を見送った。
1年後。
クリスマス間近のニューヨーク。
陣平は久し振りに美久と再会した。ニューヨークの街を案内する陣平。様々な思い出が二人の心の中によみがえり、「帰るなよ、一緒に暮らそっ」2人が抱き合ったまま終わる最後の最後で自分の気持ちに正直になった陣平に、「陣平!」といって抱きつく美久。キスシーンモ、エロシーンもないラブストーリーで超傑作です。
本当に今コロナ渦です。
もう暗いの限界。あと、40代になると、親戚や恩師、上司、芸能人、同級生までもが、違う国に旅立ってしまうことが少しずつ増えてくる。
生と死についてはもう少し別の記事で書くことになるけど、田村正和さんは生まれた環境が、歌舞伎俳優?の息子で環境上、役者になっていて、自然に役に溶け込んできた感じがする。
私は本当にパフォーマンスしていいのかな?と思いつつ、現実のほうが、サスペンス劇場以上に「カオスでおもしろいこと」をこの多少感性がにぶそうな新潟や北陸の人間に知らしめるためにも、世界のYOHKOになるためにも、本当がんばりたいって思う。将来おばあちゃんになっても、私がとっても才色兼備の女であったことが、キチっとビデオや記録に残りますように。恋のロマンスは私がいい女すぎて少ないけど。
※いちばん近い噴水に行きなさい。水がダンスを踊るのを見守りなさいと言っても無理なので、一緒に踊りなさい。