第7回:「ふつう」という言葉のこそばゆい感 〜これであなたもふつう通!〜
「ふつうの小学校」という合言葉をもってはじまったこのプロジェクト。
この「ふつう」ないし「普通」という言葉、日本語ではいろんな意味を含んでいることもあって、こそばゆい感を覚える人も多いような気がします。
辞書で見てみると、
① (形動) ごくありふれていること。通常であること。また、そのさま。一般。なみ。
② (━する) 広く一般に通じること、または通じさせること。また、ある範囲内の物事すべてに共通し、例外のないさま。
今回の記事では、「普通」について探究してみます。
よくありそうな普通の話
「普通」と聞くとどんなシーンやイメージが思い浮かぶでしょうか。
以前の設立趣意書にも登場した、
A氏「普通、鶏肉って生(なま)では食べないよね」
B氏「いや、鹿児島では鳥刺しって普通に食べるよ」
A氏「マジで?魚の刺身みたいに普通にわさびと醤油つけて食べるの?」
B氏「いや、鳥刺しには普通 ニンニクと醤油かな」
C氏「いやいや、普通 生姜と醤油だろ」
D氏「いや、普通 ポン酢で食べるでしょ」
みたいな居酒屋談義からはじまって。
「変化の激しい時代、普通なんてもはやない」「ニューノーマルどころかノーノーマル」
「一人ひとり違うのだから、普通というのは多様性を押し込めるもの」
「普通こうだよね、というやつは思考停止している」
という話もよく聞くし、
「普通においしい」
「普通の暮らしがいちばんだね」
みたいな表現もしたり。
意識的にも無意識的にも、日常的に使われやすい言葉であり、
色んな意味を含んでいる言葉でもあることがわかります。
普通を英語で眺めてみる
日本語の「普通」の持つニュアンスを、英語で眺めてみるとどうでしょう。
[normal]
語源は「ものさし」。
何らかの客観的な標準に沿って、規則に従って、正常か異常か?
→あるべきルールや決まりに外れていないか?というニュアンスで使われる時、もはやノーマルなんてないとか、一人ひとりものさしは違うとか言われたりもする
[ordinary]
語源は「順序」。
秩序立っている、きちんと並んでいる。平凡さ、ありふれた
→特筆すべきものがない、というややネガティブ気味なニュアンスもある
[common]
語源は「共に持つ」。
共通で持っている認識。
※転じて、ありふれた、世俗的というややネガティブな用途にも使われる
→共通の認識は、集団や時代の中でアップデートされる場合もある(共同主観性)
[general]
語源は「種、遺伝子」
一般的な事柄や概念、あまねくあてはまる、普遍的な
→"common"が特定の共同体や集団での共通認識だとしたら、"general"は特定の集団に限らずあまねくあてはまるニュアンス
(さらに普遍的なものになると"universal")
ちょっと解像度が上がってきたような気がしませんか?
ここまで読んでくださった方は、もう普通の通になりつつあります(笑)
教育の世界の普通
日本では、初等教育・中等教育として行われるもの、学習指導要領に基づく教育課程を「普通教育」と呼んでいます。
憲法上の「普通教育」の公訳は"Ordinary education"ですが、"General education"とか"Common education"とか呼ぶこともあるようです。
前述の英単語の語源からみるように、国がシステムとして秩序のもとで(ordinary)提供するものと捉えるか、人類が広くあまねく(general)学ぶべきものと捉えるか、その共同体にとっての共通認識(common)としての学びと捉えるか、スタンスや文脈によって訳し方も違うのだと考えられます。
ちなみに、アメリカの公教育のはじまりの一つは、"Common school"といわれています。
マサチューセッツ州でアメリカ最初の教育委員会を創設したHorace Mann氏の動きが起点となり、1860年代、誰もがそこで共通に(common)学ぶ場所として各地に広がっていきました。
また、慶應義塾の創始者でも有名な福沢諭吉氏は、その中学校を"普通部"と命名しています。
名著『学問のすゝめ』の中で「人間普通日用に近き実学」と記しているように、「普(あまねく=広く)通ること」、すなわち、人間なら誰でもが身につけておかなければならない基本的な、普遍的なことを学ぶ場、という意味で使っています。
「ふつうの小学校」の味わい方
ここまでを踏まえて、「ふつうの小学校」で大事にしたい視点をまとめてみます。
1. 「普く通じる」ことを学ぶ
小学校は人間の土台部分を育む場であると考えると、とにかく教育課程にたくさん詰め込んでみたくなる気持ちもわかります。
一方で、人間がより良く生きていく上で何を学ぶか?、皆で学ぶ場に必要なことは何か?という眼差しから、その本質に迫りながら削ぎ落としていくことも大切と考えます。
例えば、「食べる」ことは人類にとって普遍的に大事な営みといえそうですが、
これまで長らく家庭や地域の中で自然と学んできた「食べる」ことを、学校という場を起点に学び合っていくことも、時代の流れの中で大事なものになってくるかもしれません。
こうした視点から、人類を人類たらしめてきた、ある意味誰にとっても「ふつう」なことに思える「「食」と「ことば」」のふたつを、学習環境の土台に据えてみることとしています。
2. 学校と地域の当たり前を問い続ける
共通の認識(common)は、集団や時代の中でアップデートされていくもの、と前項で述べました。
例えば、教育システムも、資本主義も、時間軸をぐんと長く取れば、人類普遍のものとは言い切れません。
だからこそ、これまでの成功体験に固執し続けず、絶えずアンラーニングしつつ、学校と地域の当たり前を問い続けるという態度を前提としていたい。
異なる人達が集まって一定の共通認識をつくりあげていくということも、そして自分たちの共通認識が他のコミュニティでは異なるかもしれないことを知ることも、大事な学びとなるでしょう。
いつの間にか「当たり前」だと思い込んでいた今目の前にあるさまざまなことを、一人ひとりが、一つひとつあらためて問い直しながら。
今回の舞台である新留小学校の名前のように、いつも「新しく留まりつづける」存在でありたいと思います。
3. 広く通じる学び場へ
アメリカのCommon schoolや京都の番組小学校が、生まれた環境によらず誰もが通うことのできる学び場として、市内各所へと同時多発的に広がりをみせていったように。草の根発の実践が、国の学校制度へもインスピレーションを与えていったように。
どんな地域でも特別なプレイヤーがいなくても、その地域の人々の手で、子どもにとっても先生にとっても学校を取り巻く地域の人にとっても心地よい学校をつくっていく。
その一つの起点となるプロジェクトでありたいと思います。
さいごに
上記のそれぞれを、「ふつう」にくるんでまとめてみます。
人間がより良く生きていくうえで、普く通じること=「ふつう」を学ぶこと
いつの日も新しく留まりつづけながら、「ふつう」をみんなで問い続けていくこと
どの地域でも、そこで暮らす人たちで「ふつう」(広く通じる)につくっていくことができること
その上で、さらに頭の片隅に置いておきたいことがあるとしたら。
「学校をつくる」というと、もちろん自分たち含めそこに期待を膨らませながら進んでいくわけですが、
そもそも、狭義の学校の中だけでは、全てのことが完結するわけもない!ということ。
いい意味で力を抜いて、学校や教育システム単体に、なんでもかんでも求めすぎないことも大切です。
その既存の枠をはみだした世界にも、とてもエキサイティングな世界が広がっているから。
だからこそ、「「小学校」という概念を見つめなおしてみる」でも書いたように、狭義の学校を問い直していくことも「ふつうの小学校」のミッションであると考えています。
「ふつう」という言葉のこそばゆい感、読後はどんな風になりましたでしょうか?
本プロジェクトの過程では、私たち自身の中にある「ふつう」にとらわれて気づいていないことも、全国各地の仲間たちと忌憚なく寛容に対話し続けながら、共に創っていけたらと願っています。
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第第1回:「ふつうの学校」作ります。設立趣意のようなもの
第2回:「小学校」の概念を見つめ直してみる
第3回:食とことば とは
第4回:ランチルームとライブラリーの可能性
第5回:学び場を軸にした幸福度の高い地域デザイン〜保育園編〜
第6回:学び場を軸にした幸福度の高い地域デザイン〜小学校編〜
第7回:「ふつう」という言葉のこそばゆい感 〜これであなたもふつう通!〜(今回の記事)
第8回:ご存知ですか、教育基本法?
第9回:小学校とは地域にとってどういう役割の装置か?
第10回:【インタビュー】なぜ、このドキュメンタリーを撮るのか
第11回:「これが教育の未来だ」というコンセプトを手放してみてもいいのかもしれない
第12回 まちづくりは人づくりから
第13回:ことばによって世界の解像度を高めよ 〜国語の先生との対話から〜
第14回:第14回:早期外国語教育は必要か?
第15回:第15回:子どもたちの「やりたい!」を実現できる学校を、地域とともに創る
第16回:学校をめぐる地の巨人たちのお話〜イリイチ、ピアジェ、ヴィゴツキーなど
第17回:コンヴィヴィアリティ、イリイチの脱学校から
第18回:これまでのプロジェクト「森山ビレッジ」
第19回:現役中学生たちの、理想の小学校
第20回:理事紹介1・このプロジェクトにかける思い