心の「空洞」と「自立」①
心の「空洞」ってなに?と聞かれたら、「自立していないこと」という答えが近いと思う。
自分の人生を生きている感覚がなくて、どこか他人任せで、他人の正解が私にとっての正解。
自分の足で立っている感覚がない。本当の気持ちが喉に詰まってでてこない。自分の気持ちを話そうとすると涙がでる。
自分の「軸」がありませんでした。ぽっかりと穴があいていて、不安定。それを「空洞」と呼んでいました。
そんな空洞を埋めるために必要だったものは、「自分で選択する」という経験でした。
え?そんなこと?
と思った方もいるのではないでしょうか。
それは普通のことじゃない?と思いますよね。
だからこそ、大切なんです。
普通のことだからこそ、できていないとまずい。
私にとっての大きな要因は、「習い事」だったと思います。
幼稚園の頃からバレエとピアノを習わせてもらっていたのですが、どちらの習い事も母から「明日からここに行くからね」と言われ、突然連れて行かれました。
幼い私は「え?」とは思いつつも、母に言われてるんだから行くか・・・というような感じで、行ってきてねと言われたから行っていたのですが、ここに私の意志はありませんから、だんだん楽しくなくなっていきます。
本来はやりたい!と思った力を伸ばすために通うはずの習い事は、ただ、「行けと言われたから行く場所」「やれと言われたからやっていること」になっていき、意欲や向上心もありませんでした。
どちらも小学5年生頃には辞めることになるのですが、これらの習い事から得たものは、
・私は何にも真剣にできない人だ
・私の意見は人には通らない/聞いてもらえない
・母の好きなこと=私の正解、やらせてもらえること
という思い込みでした。
自分で選択しないことで生まれた思い込みは、この後の人生の様々な場面へ影響していきます。
(次回へ続く)