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日本史について思うこと 近世 江戸時代前期(成立期・展開期)

 安土・桃山時代に次いで、江戸時代の前期、成立期・展開期を見てみたいと思います。まずは流れから見てみます。

 豊臣秀吉没後、政策方針の対立による関ケ原の戦いが勃発、勝利した徳川家康が後継者の地位を確立、征夷大将軍に任じられ江戸に幕府を開きます。また家康はこの秀忠に将軍職を譲り政権継承を示すとともに大御所として実権を保持していました。
 しかし大阪には豊臣秀頼がおり勢力を保持していました。家康は方広寺鍾銘事件を機に大阪を二度にわたって攻め(大坂の陣大坂冬の陣大坂夏の陣)豊臣家を滅ぼしました。
 後には親藩譜代大名は要地に、外様大名は辺境に配置するなど国替を行い、一国一城令武家諸法度を出すなどして大名を統制しました。また、禁中並公家諸法度などにより朝廷・公家を、寺院法度などにより寺社をも統制しました。
 将軍徳川家光の時代には参勤交代を制度化し、大名統制を強化していきました。
 こういった幕府と藩の関係を主に、厳格な身分制度も包含した幕藩体制が成立していきました。
 また、江戸初期まであった対外交渉・交易はたびたび出された鎖国令により制限され、「鎖国」が完成します。実際には「四つの窓口」を通じて外の世界と通じていたとされます。
 やがて江戸時代初期の大名改易などにより牢人が大量に発生し社会問題化し、慶安の変が発生し、末期養子の禁の緩和がなされることになりました。
 将軍徳川綱吉の時代には忠孝・礼儀を重視した武家諸法度が発布され、生類憐みの令が出されました。
 将軍徳川家宣の時代には侍講新井白石による政治が行われました(正徳の政治)。元禄時代の政治を改めるとともに、対外貿易の制限も行いました(海舶互市新例

 今回は江戸時代の前半である成立期・展開期を見てみました。この時期は江戸幕府の完成と、統制強化の武断主義から幕政の安定のため文治主義への変化が見られます。

 それでは教科書の書き方を見てみます。日Bは6章の第3、4節と7章すべて、日探は9章すべてです。安土・桃山時代の部分でも述べましたが、江戸幕府の成立で区切ることで、幕藩体制の過渡期と成立期を分けて理解しやすくしたのでしょう。また、従来あった、将軍家綱期以降を統合したということは、武断政治期と文治政治期を一括のものとして幕政の展開を流れとしてみるためでしょうか。理解と解釈のしやすさでは、分けてみてもいいのではとは思いますが、一括にしたのには意味があるのでしょう。

 ここまで江戸時代前期(成立期・展開期)を見てみました。続いては江戸時代後期(動揺期・衰退期)(将軍徳川吉宗から水野忠邦あたりまで)を見てみたいと思います。

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