失敗続きの政変、ブリュメール18日の政変
フランス革命でボロボロな状態になったフランスに綺羅星のごとく現れた ナポレオン。 たかだか、一介の軍人から皇帝に上り詰めた天才でした。 今回はそのナポレオンの大出世となったブリュメール18日の政変について紹介していきます。
フランス革命(1789年5月5日) 王は倒し、共和制になったとはいえその反動として、革命が広がらないためにもフランス以外のヨーロッパ主要国は結託し対仏大同盟が結成されました。
この状況を打開できるなど余程の天才でなければ出来ない所業です。 しかし、その時代のその天才は現れました。 その天才の名はボナパルト・ナポレオン。
星のごとく現れたかと思ったら、すぐさま王党派の拠点、トゥーロン港を平定し(1793年)。 満身創痍の状態でロディ会戦を勝利し、大国オーストリアにカンポフォルミア条約を飲ませました。
これで、ヨーロッパの主要国、スペイン、オーストリア、プロイセン、ロシア、オランダ、ベルギー、が対仏大同盟から離反しました。 残るは海の向こうのイギリスのみ。
しかし、それは難しい問題でした。 なぜなら、フランスは陸軍国、イギリスは海軍国。 もしイギリスに勝利したいなら海を渡らなければなりませんが、海軍力がイギリスより劣っているならそれも叶わぬ夢。
しかし、海を渡らなくてもイギリスを敗北させる方法はあります。 イギリスの繁栄はインドの吸い上げから成り立っています。 そのインドの通り道として、スエズ運河が挙げられますが、そこをおさえられると喜望峰ルートを通らなければなりませんので、イギリスが降伏する可能性が出てきます。
さっそく、ナポレオンはエジプトを攻略しようとしました。(その詳細はここでは話しません) しかし、得るもの得られずエジプトの攻略に失敗してしまいました。 ナポレオンがいなくなったフランスはまさに王党派の反乱がおこって、総裁政府は崩壊寸前。
そうこうして、総裁政府が倒れる寸前のところにナポレオンが帰還しました。(1799年) もうどうしようもなくなっていた状態をナポレオンと結託しクーデタをおこそうとしました。 こうして、時代が動き出しました。 アベ・シェイエスは一抹の不安を感じていましたが、ナポレオンとクーデタをおこすことを決めました。 このクーデタがブリュメール18日の政変です。
さあ、さっそく見てきましょう。 総裁政府のリーダーは5人いました。 憲法では5人中3人が総裁政府を辞職すれば実質的な解散となっていました。しかし、1799年の11月9日に総裁政府のリーダーだった、 アベ・シェイエス、ロジェ=デュコ、バラス子爵が一斉に総辞職しました。
そうして、総裁政府は解散となりました。 しかし、ここからが本番となります。 新政府と新憲法を議会で通過させなければ!! 何とか上院は通ったものの、下院は反対の嵐。 アベ・シェイエスも必死に反論しますが、大勢には敵わず。 ちなにみ、この時ナポレオンは護衛をしていました。
しかし、ナポレオンは通過せずに時間を潰しているのに怒りを覚え、呼ばれていないのに議会に突入してしまいました。 呼ばれていないのに軍人であるナポレオンが議会に来たことに、議員たちは混乱します。
議員「な、なんで軍が呼ばれていないのに議会に来たんだ?」
議員「まさか、俺たちを軍事力で強引に納得させようとしているのか!」
議員「なめやがって・・・」
こうして、怒り心頭の議員たちに攻撃され、その批判にナポレオンは失神してしまいました。 兵たちに引きずられる形となりながらナポレオンは退場しました。
どうやら、ナポレオンにとって政界は初めてだったようで・・ 所詮、軍人。 そのころ議会では・・・・
議員「ナポレオンを死刑に!!」
議員たちによって、ナポレオンは死刑が通過されるところでした。 ナポレオンの弟、リュシアンはその頃のフランス議会下院の議長に居ました。 戦力外となったナポレオンに変わって、弟リュシアンはナポレオンを死刑にすることに徹底反対しました。 時には、議長のバッチを机にたたきつけるパフォーマンスを演じつつ、ナポレオンをかばいます。
こうして、リシュアンが時間稼ぎしている最中にナポレオンは兵たちに議会の軍事制圧の命令をかけていました。 しかし、一向に兵たちは動く気配を見せない。 ナポレオンも得意の演説で兵たちを説得しましたが、如何せん迫力がない。 ナポレオンも人の子、いつも通り動けるわけではないのです。
ちょうど、そこえ弟、リシュアンが駆け付けました。
リシュアン「何をやっているんだ、早く軍事制圧をかけなければフランスは売国奴に国が乗っ取られるぞ!」
リシュアン「ナポレオンの額に傷がついているだろう?それが議会にスパイがいた証拠だ!」
確かに、傷跡はついていますがそれは議員から攻撃を受けたためであって、決してスパイからの攻撃ではありません。 しかし、この言動により兵たちが少し動く様子を見せました。 あと、もう少しパフォーマンスをしなければ・・・ そこで、こんな感じのパフォーマンスを演じました。
ナポレオンの心臓に短剣を近づけ
リシュアン「もし兄が今後、フランス国民の権利を奪う真似をしたならば、必ずや、この僕が兄の命を絶って見せよう」
この言葉に兵たちは決起し、議会に流れ込みます。 あれだけ大口叩いてたのはどこのことやら、下院たちはチリジリになり逃げます。 これにより、ブリュメール18日の政変は成功します。 ちなみに、今回の政変はシェイエスが主役なのにもかかわらず、この成果をナポレオンは実力と人気を背景に乗っ取りました。
こうして、ナポレオンは第一党領となりました。
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どうでしたか、ブリュメール18日の政変は。 あれだけ大口叩いていた野党らは、軍を見た途端一目散に逃げまわりました。 これは今の日本にも言えることで、議会では与党のやることなすこと反対と言っている野党も軍事力を見せつければ簡単に降伏します。
人間というのは死というのを見せつけられると、簡単に言いなりになります もし、話し合いで平行線をたどるなら、強く出るのも方法の1つです。 この記事が皆さんの役に立てたら何よりです。
ナポレオンの絶頂時代の前哨戦
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