ナポレオン初の初陣 トゥーロン攻防戦 天才の始まり
ボナパルト・ナポレオン。
私が好きな歴史人物の一人でもあります。 今日はそのナポレオンの初陣について解説します。
それではどうぞ。
1769年、ナポレオンが誕生しました。
ボナパルト・ナポレオンはヨーロッパの小さな小さな島、コルシカ島で生まれました。 しかし、このコルシカ島はフランスに売却されており、大軍が押し寄せなぽ連はコルシカ島からフランスへと移りました。
尺があまりなく、簡単に書きますが、ナポレオンはフランスへと渡り士官学校を卒業、1793年に少佐に昇格します。
ちょうどその頃、フランスのトゥーロン港では王党派が反乱を起こしていました。 それだけなら他の反乱を余り変わりませんが、この王党派の反乱はトゥーロン港でイギリスとスペインから海上支援を行われていて、要塞が撤兵だったことも相まってかフランス政府の手に有り余っていました。
その反乱の平定に勤まされていたのが、この記事の主役ボナパルト・ナポレオンです。
ずいぶん前置きが長くなりましたが、トゥーロン港攻防戦の解説が始まります。
さてこのトゥーロン港平定の最高責任者だったのはカルトーという人物です。
このカルトーという人物は救いようのない無能であり、鉄壁の要塞に対して突撃しか行えない人でした。 当然そんなんだから、日に日に犠牲が増え、反乱はますます強くなってきます。
少佐だったナポレオンはカルトーに助言します。
ナポレオン「閣下、ここはトゥーロン港を攻めずにルケール丘を攻撃しましょう。そうすれば、そこを起点として砲台を使いトゥーロン港を攻撃。そうすれば簡単に堕ちます」
しかしカルトーは却下。
カルトー「ふん、このコルシカ人め。下賤の物のくせに私に助言するで ない!」
このカルトーは家柄とかそういうものでしか判断できない頭の固い人物でした。
しかし、策がなくカルトーは微妙ですがトゥーロン港を攻撃しました。 当然、微妙な攻撃ですからトゥーロン港は落ちるはずもなく、敵にトゥーロン港の重要性を気づかされ要塞を築かされました。
その責を問われ、カルトーは退陣、しかしその次の司令官も無能すぎて退陣。次のデュゴミエは有能でした。
デュゴミエ「ナポレオン君、君の作戦は素晴らしい、ぜひ立案してくれ」
ナポレオン「あ、ありがとうございます」
こうして大佐に任ぜられました。 さっそくルケール丘を落とすため、奮迅を見せルケール丘が陥落。 そこから雨あられと砲弾を打ち、トゥーロン港は落ちました。
こうして2か月もかかったトゥーロン港はナポレオンに責を与えられるや、3日で落ちました。
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こんな感じに無敵の要塞でも正しい方法で攻撃すれば簡単に堕ちる物です。
これだから、戦争は面白い(不謹慎)
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