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ドイツの命運をかけた、ケーニヒグレーツの戦い

これは分身合撃をせよ。普墺戦争の続きです。                    それではどうぞ。

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1864年から1866年の間にプロイセン首相、ビスマルクは各国を移動し、その外交力の高さを生かし、フランスを中立にしイタリアを仲間にしました。

これで有利に戦えるだろうと思いましたが、              所詮 プロイセン(小国)vs オーストリア(大国)              勝機は低い・・・

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だが、ビスマルクやプロイセン陸軍司令官モルトケにはこの戦いに勝機を見いだせていました。

モルトケ「ビスマルクさん、私は今戦に3か月あれば勝てます」 

ビスマルク「分かった、政府は前線に食料やら武器やら玉などを支給するが、3か月後には一切支給せん。絶対に勝てよ」                             

そう勝つとするならば短期決戦。                        所詮小国、物量の差で負けてしまう。                    ならば、我が国が満足に戦える短期で決着をつければ勝てる!

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他にも、オーストリアは異民族の混合でできていますので指揮が低い。                さあ、勝つぞ!

1866年普墺戦争が勃発しました。

「普墺戦争勃発!!」

そのほうがヨーロッパじゅうに駆けまわると、ヨーロッパ諸国はビスマルクを哀れみました。

ヨーロッパ「え、普墺戦争が勃発したって?ビスマルクは馬鹿な男だな。 オーストリアは大国、プロイセンは小国。勝てるわけないだろw」

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まさに最大のフラグ。                               さあ、普墺戦争が開始しました。

ドイツ500,000vsオーストリア600,0000が対決しました。

最初の位置はこうなっていました。

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最初はプロイセン軍は普墺国境に対峙させていました。

エルベ軍司令官・・・ビュッテンフェルト                                       第一軍司令官・・・ フリードリヒ=カール                                     第二軍司令官・・・フリードリ=ウィルヘルム                                     プロイセン参謀総長・・・モルトケ

まず手始めにエルベ軍司令官はが 親墺国であるザクセン王国を無欠占領し、ドレスデンで休み、ギッチンに向かいます。

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第一軍もそれに呼応するように、ギッチンに向かいます。                                最初は順調でした。

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ところが、オーストリア主力軍20万、ベネディク元帥と         第二軍司令官ウィルヘルムがトルトノフで戦闘が起こりました。                 いかんせん、数に劣るウィルヘルムが敗北し、ベネディク元帥がトルトノフを占領しました。                                  が、勝ったにもかかわらずオーストリア軍の方が被害は甚大で、自信を無くしたベネディク元帥はエルベ川にあるケーニヒグレーツの要塞に立てこもりました。

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第一軍とエルベ軍はギッチンで合流し、トルトノフから来た第二軍とも合流し、その後ケーニヒグレーツ要塞に立てこもるオーストリア軍を叩く予定でした。

が、何故か第二軍がケーニヒグレーツに来ない。                       予定では、ケーニヒグレーツで全軍合流するんでしたが、来なければケーニヒグレーツ要塞を占領できない。                             かといって、引けば普墺戦争そのものに負けてしまう。                 ここが踏ん張りどころ、ここで第二軍が到着すればプロイセンの勝利。               第二軍が到着する前に撤退したら、オーストリア軍の勝利。              両軍引くに引けない。

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ビスマルク(なんか負けそう、モルトケ将軍は何を考えているんだ?)

ビスマルク「モルトケさん、たばこはいかがですか」

モルトケ「あ、じゃあ使わせてもらいますよ」

普通、負けそうな雰囲気の時は大将は油断がないので焦るはず・・・            しかし、モルトケ元帥は煙草を選ぶときゆっくりと落ち着いた表情で煙草を楽しんでいました。

ビスマルク(大将がこんなに余裕なら大丈夫だろ)

モルトケ(うう、負けそうだけどそれを配下に知られては焦って、負けてしまう。ここは落ち着いた様子で行動しなければ・・・)

とまあ、このように優秀な大将というのは、いくら負けそうな時でも落ち着いて慌てずに行動するものです。

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ベネディク元帥(なんか勝てそうだな、所詮小国。勝てるはずもないか)

一方そのころ、プロイセン陣営では

プロイセン王「モルトケ将軍、ちゃんと敗走ルートは確保しているんだろな」

モルトケ「敗走ルートなんてありません。生きるか死ぬかです。この戦いに命を懸けてください」

ビスマルク「それにしても第二軍遅いなあ、あともう少しで負けてしまう」

ビスマルク「ちょっと望遠鏡で見てみるか」

ビスマルク「ん?なんだ、何故かオーストリア軍の向きが変わったぞ、何かあったのか」

ビスマルク「!、あれは・・・」

ビスマルクは望遠鏡をのぞき終わると近くにいたモルトケに悟ったような表情で渡しました。

モルトケ「!、あ(察し)」

察し終えると、モルトケは近くにいたプロイセン国王にこう言いました。

モルトケ「陛下はケーニヒグレーツの戦いのみならず、普墺戦争にも勝利しました」

何が起きたのか?                                   実は、やっと第二軍が到着したのです。

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オーストリア軍「あ、新たに敵に増援が来た?もうだめだ、逃げろー」

そう、第二軍が到着したことによって、ケーニヒグレーツの戦いはプロイセンが勝利しました。

【ケーニヒグレーツの戦い後】

側近「このままウィーンを包囲するべし」

ビスマルク「いや、自軍が有利の状態で講和を進めたほうがいい」

普墺戦争が終結し、講和がなりました。

プラハ条約                                          ・オーストリアは今後二度とドイツ問題に手を出さない                      ・賠償金は5000万ターラー(当時から見て格安)                               ・領土要求は一切無い

という内容でした。                                     これにより、普墺戦争が終わりました。                     そして、この後普仏戦争へと繋がっていくんですが、それはまた後程に

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このビスマルクという男は知れば知るほど、異質な存在です。                  皆さんも、ビスマルクについて調べてはいかがですか?

引用元:世界史劇場 天才ビスマルクの策謀(作者 神野正史)                  http://sekaisi.com/

引用元:普墺戦争(wikipedia)

引用元:Googl地図

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