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『異境備忘録』の研究(43) -仏仙界-

#00358 2015.06.8

「仏仙界を見たく思ふ時は、神仙等に願ふ時は眼前にその界の状(さま)を現し、又、古の合戦の有状(ありさま)等も現して見せ給ふなり。又、少名彦那大神、龍飛命、龍徳命、川丹先生、清浄利仙君等に伴はれたる時は何所の界にても行きて見る事も自在なり。」(『異境備忘録』)
「宮殿の状(さま)にし塔を構へて五色に彩れるは仏仙界なり。」(『異境備忘録』)
「仏境はその入口大なる川ありて、舟三艘岸に着きゐたり。その舟に乗りて川を渡る時は大なる黒木の門あり。右の方は冥官の館あり。左の方は松樹生ひたり。黒木の門を内に入れば大なる砂漠なり。こゝを過ぎれば大海あり。その色茶色なり。その中に上の大なる山なり。躑躅(つつじ)の花三段に咲き、実に美麗なり。これ遥かに見る所にしてこの砂漠の岸には舟ありと雖(いえど)もその界の許しなければ容易(たやす)く近づき見る事能(あた)はず。然(しか)るにこの山にはアラヽウツタラニ仏仙釈迦氏の宮ありと云ふ。」(『異境備忘録』)
 
 釈迦氏が修した原始仏教の本質が、出家して沐浴、断食、瞑想等の修行を行い、戒律を守って徳を積み、霊胎凝結の道を成就することであったことは前述した通りですが、かくして尸解を遂げ仙去した釈迦氏は高徳の仏仙となり、仏仙界を司掌されるに至ったものと思われます。 #0161【『仙境異聞』の研究(26) -原始仏教の本質-】>>
 また、仏教に民間信仰が混入して生まれた概念に、「此岸(しがん、現界)と彼岸(幽界)の境目には三途の川がある」という伝承がありますが、恐らくは仏仙界の実相が漏れ伝わったものでしょう。
 
「仏仙界の冥官九仙の中に羅喇大王と云へるは、この界の大豪傑と称して髪逆立ち髭面を掩(おお)う。その毛三方に角の如く分かれ、その長さ二尺余に見え、右の手に常に大剣を握りて、衣は龍形の大紋あるを服し、眉間に眼鏡に似たる物を以て髪の□作りたり。その光に多くの新参霊は平伏恐怖するなり。その面貌畏(かしこ)くも武甕槌神(たけみかづちのかみ)に似たり。その体は武甕槌神より少しく大なり。経津主神(ふつぬしのかみ)は何れの界に入りても拝み見たる事なければ、この神の御容貌は知らざるなり。」(『異境備忘録』)
「仏魔と云へるものあり。夜中に種々の異形を現ずるが中に、多くは金色にて長高く体大きく、左右に金色の童子長卑(ひく)きが二人付き添ひたり。夜中にこの仏魔に行き遭ふ時は忽(たちま)ちすくみ、手足自由ならず。声を出さんとするにも口つぐみて言語出でず。夢中にものに襲はれたるが如く、このもの消え失せて後は熱病を発する事あり。その病は猛烈の瘧病(おこりやまい)に似たり。
 この病を癒すには、桃核を細抹として温湯で嚥下(のみくだ)し、体をば雞冠石(けいかんせき)の粉を以て塗るべし。如此(かくのごとく)すればその病も速かに癒(なお)るなり。
 又、厠(かわや)を不潔にする時はこの仏魔の立ち寄る事あり。故に厠は清潔にして硝子鏡を常に掛け置くべし。厠の中には金の鏡は用に立ち難し。如此すれば厠中にこの仏魔の入る事なし。この仏魔に出会するは、多くは深夜に厠に行きがけに遭ふものなり。」(『異境備忘録』)
 
 仏仙界は万霊神岳中の一仙界で、上層部は神集岳と交流し、下層部は魔界にも通じる幽境ですが、仏典の中には万霊神岳系統の神仙達によって伝承された多くの思想が盛られており、玄胎を意生身(いしょうしん)と称し、別天(ことあめ)を真如と称し、少名彦那神を梵天子(ぼんてんし)、または童子天(どうしてん)と称するように、仏教的に表現すればそうなるというようなもので、仏道においてもその本質を見極めることが重要でしょう。
 このことは、本居宣長先生が常に観音経を誦読(しょうどく)され、また菅原道真公や楠木正成公も深く仏教に帰依されながら敬神の心も篤く、御帰天後に神集岳の神仙と成られていることからも分かります。 #0337【『異境備忘録』の研究(22) -紫房宮の七神仙-】>> #0338【『異境備忘録』の研究(23) -神仙界の刑法所-】>> #0340『異境備忘録』の研究(25) -神仙と成った人々-】>>
 さらにこれは神道においても同様で、その蘊奥(うんおう)に達するためには神道の本質が神仙道――神化の道であることを感得することが必要不可欠です。 #0222【尸解の玄理(1) -神化の道-】>>

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