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『異境備忘録』の研究(48) -生兵法は大怪我のもと-

#00363 2015.7.9

「天之真道風時吹男神(あめのまさみちかぜときふくおのかみ)、天之真道風聞姫神(あめのまさみちかぜききひめのかみ)、天之真道音於記命(あめのまさみちおとおきのみこと)と云へるは禍神の数多(あまた)ある中の三神の名なり。
 天之真道風時吹男神は見る神通と云ふを掌る。天之真道風聞姫神は聞く神通を掌る。天之真道音於記命は言はせる神通と云ふを掌る。これは梓式(あずさしき)を行ふ覡巫(げきふ)の祭る神にて深き訳あるなり。」(『異境備忘録』)
 
 梓巫女とは梓弓を鳴らしながら呪文を唱え、口寄せ(霊を自分に憑依させて霊の代わりにその意志などを語る術)を行う巫女のことで、津軽地方のイタコなどもその系列に属します。
 
「南陀天王、三界天王、気勢大霊天子、五行感太子、流侶大神、摩利子天王等云ふはその実は無きものなれど、この名を唱へて五人以上集りて返す返すこと一時間ほども行へば、空中にさまよふ霊の依り憑りて験(しるし)を現す事もあれど、宜しからぬ事なり。
 又、この名のみに限らず、作り事にても唱ふる時は遊魂魔物の憑るものなれど、右の南陀天王云々を唱へて漂遊する霊を呼び寄するはたゞの作り事を唱ふるよりは早く来るなり。然(しか)るに南陀天王以下五神の名はその根元は無きものを、悪魔を寄せんが為に偽作したるものなれば、今は漂遊の霊を寄するの神名となりたり。
 又、魔物遊魂も我等を寄せ呼ぶの名と常に思ひ居る故に、天狗、狐狸、悪魔、漂悪等の類も南陀以下云々を唱ふれば来るなり。この外にも、天狸梵王、三界万霊天子、大運大師等云ふ偽名もあり。」(『異境備忘録』)
「幣串(へいぐし)を持ちて何の言(ことば)にても数度唱へ、神の名、仏の名、何によらず雑々に唱ふる時は、空中に往来せる種々の邪霊の寄りて幣串に憑り、奇なる事を見(あら)はすものなれど、長く続く事なく、終には害を受ける事なり。俗人の神憑(かみがかり)と云ふはこの類にて、何人(なんびと)にても行はんとならば行はるゝなり。その中には邪霊と妄想と感じ合ひて幣串を振るはすもあり。真の神の憑る事は万に一が覚束なし。
 然るに心正直にして道の為に一心不乱になりて神憑の式を行へば憑り給ふ事あれど、私欲の為に行ふに至りては真の神は来らずして邪霊憑りて、始めの程は物事もよく当たれども、終には尻○なる事ありて大損をし、或(あるい)は窮困を招き、身を立つるの時至る事なし。楽等には神憑を願ひ、且つ幣串を持ちたる時は、種々に雑言等繰り返す事なかれ。
 又、神憑に心得居るべき事あり。悪魔狐狸や死霊等の憑して神名を詐(いつわ)り名乗りて、その教へには上下左右に手を振り又言語にて教ふるもあり。手を頭上にて振るは神の使役し給ふ霊なり。目下にて振るは悪魔なり。その中に拍手する事度々にして又手を組みて口走るは、多くは空中に浮かれ迷へる諸霊なり。
 又、悪魔の憑る時は如何(いか)なる尊き社前にても憑るなり。悪魔は一度憑れば度々来り憑るなり。憑る時、目の前闇(くら)くなるは魔の類なり。又、火の如く光りて来るは神霊にて、その時は一度(ひとたび)頭の下に自然と下がるものなり。又、嗜欲なる事を伺ひ願ふ時は、神はいつの間にか去り給ひて、悪魔入り替りて憑り居るなり。
 又、魔の憑りたる時は、付くも不肖付かるゝも不肖、一時の夢そかし、生は難の池水つもりて淵となる、鬼神に横道なし、人間にうたがひなし、教化に付かざるに依て時を切てすゆるなり、下のふたへも推してすると唱へ、その人の足の裏に灸を三つすゆる時は悪魔も忽(たちま)ち離るなり。又、足の形を板に写してすゆるもよし。又、天狗界の物の憑きたるは、大指の爪を握り隠して大豆類を好むなり。」(『異境備忘録』)
 
 平田篤胤先生が久延毘古(くえびこ)の神秘を敬信され、日ごと事ごとに拝してその霊験を被られたことはよく知られていますが、それは私欲のために行われた訳ではなく、先生の御言葉を拝借するならば、「天上天下、幽界(かくりよ)顕界(あらわよ)の微旨(びし)を探りてこれを身につけ、修身斎家は更(さら)なり、治国平天下の道、またこれに出ずる事の本(もと)を明かさむと欲する」ためでした。 #0115【物実の神術について】>>
 たとえ正伝を授かったとしても、正しき霊統を得ずして私欲のためにそれらを修した者達が、「生兵法は大怪我のもと」というようにミイラ取りがミイラになる実例は枚挙に遑なく、また巷で流布されている偽伝、偽法の中には邪霊を呼ぶ道術も多くありますので要注意です。
(水位先生によってもたらされた神法道術の一法で、方位、家相、その他住居宅地に関する一切の災厄禍難を除く霊威の符文が存しますが、その書順を誤れば逆の作用を起こすことが伝えられています。 )
 さて、邪霊禍物の類は神仙の道を奉じる者にとっては大敵ですが、宇内が善悪並行の内に開展して行くことから考えても必要不可欠な存在といえるでしょう。 #0218【神道宇宙観略説(9) -善悪の存在について-】>>

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