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『仙境異聞』の研究(13) -山人界の食生活-

#00148 2012.1.4

平田先生:ある人が寅吉と食事をする時に、「仙境では菜のものはどのようなものを食べるのか」と尋ねたところ、寅吉は笑いながら次のように云った。
寅吉「そのような質問にはいつも困ります。自由自在になりますので、何でも食べようと思うものが、たちまち目前に来ます。だからこの世の食物と異なることはありません。」
平田先生:その人はなお懲りずに、「それにしても、何かこの世で常に食べ慣れないものを食べることもあるだろう」と尋ねた。
寅吉「まだ葉がほぐれていない松の新芽を採って皮をむき、さっと茹でて塩漬けにして食べますが、これは美味いものです。また、杉の若芽を塩漬けにして、よく馴染んだら塩を洗い出し、常に菜の物として食べます。この二品は口中の薬になります。松の若葉も松葉と同じ分量の塩を入れて漬けたものは食べることができます。大体どのようなものであっても、等分の塩で漬物にすればそれを食べて活きていくことができます。笹の葉でも食べられます。
 また、松の木につく苔(こけ)をよく洗って餅にして食べますが、もち米を蒸して搗(つ)き交ぜるとさらに美味しいです。粘土も、何度も水干しして砂を取り去り、団子にして炙って食べればそれなりに食べられます。これらは全て養生のための食物ですが、このようなものを食べることを知っていれば、飢饉などがあっても困らないという師の話です。」
平田先生:またある人が煎茶を飲みながら、「あちらの界にも茶はあるのか」と尋ねた。
寅吉「こちらの界で用いるような茶は用いません。タラの木の芽をさっと蒸して揉んで陰干しし、お茶のように煎じて飲むことはあります。茶菓子には焼き鳥や炒った赤小豆(あずき)を食べることがあります。」
平田先生:またある人が餅を食べながら、「あちらの界でも餅を食べるのか」と尋ねた。
寅吉「餅も搗いて食べます。それについてですが、この世でかき餅というと、ただ餅を切ったものですが、あちらの界でかき餅というのは、生の渋柿の種を取り去り、餅に搗き交えて干したもので、炙って食べればとても美味しいものです。ただし搗いた当日は焼き餅にしません。
 すべて餅に限らず、一度煮たものや焼いたものは、なるべく火にかけない方が良いのです。もっとも味噌や醤油も一度火にかけて作るものですが、これは煮て食べるためのものですから、再び火にかけても良いということです。」
 
 今のわたしたちに比べると実に質素な食事ですが、彼らが生きる目的は、定められた寿命まで肉体を維持して無事に修行を終えることであり、また人間の肉体よりも精微な霊胎を備えていますので、美食は害となり、邪気を祓う効験のあるものを選んで食するものと思われます。
 また、塩は火気(ほのけ)を多く含有するとされており、米や清酒と共に神前に供えられるのは、献饌(けんせん)というよりは邪気を祓い清めるという意義が主となっています。
 
平田先生「魚や鳥、五辛の類も食べるのか。」
寅吉「魚も鳥も共に煮たり焼いたり、また生でも食べます。ただ四足の動物を食べることは神が嫌いますので決して食べることはありません。それは甚(はなは)だしい穢れです。全て神が嫌われることはしない方が良いのです。
 また、獣類を食べることを神が嫌い給うことはもとより、山は獣類の持ち場であり、山にいながらその獣類を食べるということはあってはならないことと聞いています。
 魚や鳥を捕るには、一尺ほどに切った篠竹の先に鉄の鏃(やじり)をつけて狙い定め、投げつけて突いて捕ります。鳥をハガにて捕ることもあります。鳥は何でも人間が鶏を料理するように、皮を丸ごと剥いで身だけを採り、塩焼きにして食べます。また雉(きじ)などを多く捕りおいて塩漬けにして干物にし、焼いて食べることもあります。
 山人の食事には鳥が第一です。なぜなら身体を軽くして浮揚させるからです。私もある時30日ほど鳥ばかり食べたことがありますが、身体が本当に軽く、飛び上がるように感じました。特に鳥だけ食べる人は命が長いといいます。」
 
 神道でも四足の獣類を食することは重い穢れとされ、神祭や神法道術を修する前はもちろん口にすることはなく、潔斎に努めますが、これは日常でも同じで、獣類を食することはなるべく避け、必要な時には鳥類をいただきます。
 
平田先生「師が自ら料理されることはあるのか。」
寅吉「師が料理をされる時は、まず自然薯(じねんじょ)をわさびおろしで摺り、浅草海苔の上に置き、塩を少しと山椒を一粒入れて包み、わり菜(里芋の茎を干したもの)で縛ります。
 また、浅草海苔に摺り芋(摺った山芋)をならして置き、塩と山椒の粉とを振りかけ、中心に干瓢(かんぴょう)を入れて巻寿司のように巻き、両端にかけてわり菜で縛ります。また、柏の若葉に海苔を敷き、海苔の上に摺り芋を置き、塩をつまみ入れてわり菜で結びます。また、紫蘇の大葉を一晩塩水に浸けて、摺り芋に紫蘇の実の塩漬けをさっと洗って混ぜたものを包みます。
 これらの四品を松の実の油で揚げ物にして奉ります(ひめゆり、つつじの花、さつき、桜の花、梅の花、山吹、ききょう、はつ茸、椎茸、たけのこを塩焼きにしても奉る)。
 また、魚の身を茹でて水に入れ、よく揉んで洗えば粉砂糖のようになりますが、それを布に包んで絞り、葛粉を入れて麻布に包んで塩茹でにします。また、白い槿(むくげ)の花を採り、紙の間に挟んで陰干しにして蓄えておき、用いる時には酢に漬けます。干瓢、椎茸、蓮、慈姑(くわい)などは細かく刻んで味噌のタレで煮込み、色が染まったら絞り上げておきます。醤油と水を合わせて糯(もちごめ)八合に餅米二合ほどを加えて飯を炊き、炊き上がった時に先ほどの干瓢や椎茸を入れ、一寸五分ほどに切った竹の中に詰めて固めます。そして、それを取り出したら一つ一つに先ほどの酢に漬けた槿の花を載せます。これを玉むすびといい、また別名を花鮨ともいい、花も一緒に食べます。この他、赤飯、汁、アリの酒(自然発酵の果実酒)も土器に入れて奉ります。」
 
 杉山僧正の料理は様々な食材を使用した手の込んだ料理で、弟子たちへの深い愛情が感じられ、仙境の暖かくほのぼのとした様子がうかがわれます。
 日本古学によると、この山人界は神武天皇の御代に創設された日本固有の幽界で、当時の地上霊異の人物(いわゆる縄文人)の多くがこの界に編入されたことが伝えられていますが、これらの記述はまさに古代の縄文人の食生活を見るようです。

 ちなみに、現在の研究によると日本の縄文土器は世界最古級のもので、1万6千年以上前のものとされています。また、人類文明開闢(かいびゃく)の象徴ともいえる磨製石器は、日本では3~4万年前のものが発見されており、北西ヨーロッパや西アジアで発見された1万1千年前のものと比較しても、けた外れに古いものであることがわかっています。 #0094【世界太古伝実話(3) -最も早く開けた国-】>>


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