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戸籍時報連載『旧市区町村を訪ねて』8「花火とともに生きるまち」秋田県大仙市〜大曲〜(文・写真:仁科勝介)

こんにちは。コンテンツビジネス推進部のMです。弊社刊行「戸籍時報」との好評連動企画、「旧市区町村を訪ねて」。
いつもたくさんの「スキ」をありがとうございます💛
今回は、12月号掲載の第8回、秋田県から、全国的にも花火大会で知られる大曲を訪れた記事を届けてくださいました。
いつものとおり、仁科さんの素敵なお写真をここではカラーでご紹介しています。
今後の連載も、ぜひお楽しみに!

~~本連載の著者は、写真家の仁科勝介さん。2018年3月から2020年1月にかけて、全国1741の市区町村を巡った彼が、2023年4月から再び、愛車のスーパーカブで日本中を旅しています。
 今回の旅のテーマは、1999年に始まった平成の大合併前の旧市区町村を巡ること。いま一つのまちになっているところに、もともとは別の文化や暮らしがあった。いまも残る旧市区町村のよさや面影を探します。
 仁科さんの写真と言葉から、今そこにある暮らしに少し触れてもらえたら嬉しいなと思います。~~

『花火とともに生きるまち』

市町村の合併によって見えづらくなってしまう地名が多くある中で,「大曲(おおまがり)」についてはどうだろうか。秋田県の旧大曲市は2005年に仙北郡(せんぼくぐん)の7つの町村とともに合併し,大仙市(だいせんし)となった。しかし,今も大曲の地名はよく見聞きする。「大曲の花火」の影響が大きいだろう。日本最高峰の全国花火競技大会開催地であり,2023年には4年ぶりに通常開催され,8月末に1万8,000発の花火が夜空を彩った。

「大仙市」と「旧大曲市」の関係性を垣間見たのは,市街地を訪れたときだ。中心部である大曲花園町に位置する大仙市役所も,本来は現市名なのだから大仙市街地と言えるはずだが,周辺の町名も店名も「大曲」の名のつくものが多く,「大曲」市街地という響きの方がしっくりくるのだった。つまり,大曲のように市名が変わって18年経った今も,まだまだ生きている地名があるということだ。

丸子川の河畔にある,花火伝統文化継承資料館「はなび・アム」を訪れた。ぼくが初めて知ったのは,大曲の花火大会では最高賞として内閣総理大臣賞が与えられること。この賞が与えられる花火大会は,大曲と土浦(茨城県)しかないそうだ。それほど全国の花火師がしのぎを削る大会である。資料館で観た花火師にフォーカスした映像は鳥肌ものだった。職人としてのプライドと職人同士のリスペクトを併せ持ち,一瞬の美に賭ける情熱に溢れている。

花火大会の会場は,市街地の近くを流れる雄物川(おものがわ)の河川敷だ。心地よい快晴の午後,対岸の山並みとまっすぐ伸びる川筋に目を見張った。雄物川はかつて大曲の周辺で大きく蛇行していたが,昭和28年から16年かけて大規模な河川整備が行われ,現在の姿に至っている。整備によって川筋がまっすぐになり,洪水被害が減り,河川敷も広くなって花火大会の規模が大きくなったという。

▲ 「大曲の花火」当日は,目の前の河川敷が大群衆でいっぱいになる 。

河川敷を散策していると,ひとりでぼんやりと階段に座っているおじさんがいた。ぼくの足音でおじさんが振り向き,一瞬目が合って,迷ったけれど声をかけた。「花火,ここで上がるんですよね。」「おお,そうや……ここでなあ……。」おじさんの遠い眼差しの先には,河川敷の群衆と花火の夜空が見えているのかもしれない。

大曲の地名の由来は二つあり,かつて生息していた麻を刈り取る「大麻刈り(おおまかり)」の呼び名が転じた説と,雄物川が蛇行の地点が多い川だったことから「大曲」に転じたという説がある。今ではここで大きく曲がっていない雄物川になったわけだが,地名の持つ力強さは変わらない。いつか大曲の花火を観に行きたい。

(かつお╱Katsusuke Nishina)

  


仁科勝介(にしなかつすけ)
写真家。1996年岡山県生まれ、広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年春より旧市町村を周る旅に出る。
HP https://katsusukenishina.com/
X(旧Twitter)/Instagram @katsuo247



本内容は、月刊『戸籍時報』令和5年12月号 vol.847に掲載されたものです。


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