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【日本遺産ソムリエ寄稿文】日本遺産プレミアム『海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産 ~御食国若狭と鯖街道~』

日本遺産ソムリエ 達川 恭之

プレミアムな日本遺産の魅力を改めて紹介!

2024年7月、全国で初めて『海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産~御食国若狭と鯖街道~(以下、『若狭と鯖街道』とします)』が「特別重点支援地域(日本遺産プレミアム)」に選定されました。「日本遺産ソムリエ」の称号をいただいた福井県民としては改めてその魅力を紹介せねばなるまいと奮起し、8月の暑い日ではありましたが、福井県若狭町、小浜市に出掛けて参りました。


はじめに

この文章を読まれる方の中であれば、「日本遺産」についてはすでにご存じの方も多いと思いますので、『若狭と鯖街道』のストーリーについてのみ日本遺産ポータルサイトから引用します。


若狭は、古代から「御食国」として塩や海産物など豊富な食材を都に運び、都の食文化を支えてきた地である。
また、大陸からつながる海の道と都へとつながる陸の道が結節する最大の拠点となった地であり、古代から続く往来の歴史の中で、街道沿いには港、城下町、宿場町が栄え、また往来によりもたらされた祭礼、芸能、仏教文化が街道沿いから農漁村にまで広く伝播し、独自の発展を遂げた。
近年「鯖街道」と呼ばれるこの街道群沿いには、往時の賑わいを伝える町並みとともに、豊かな自然や、受け継がれてきた食や祭礼など様々な文化が今も息づいている。


これ以上の詳細な情報についてはポータルサイトや小浜市のHPに詳しいのでそちらを是非ご覧ください。


今回は、『若狭と鯖街道』の構成文化財の中のごく一部を半日程度で駆け足で巡ってきましたので、関連付けられるストーリー区分に合わせて紹介させていただきます。どちらかというと割と皆さんもご存じのところかなと思うところがメインになっています。

ストーリーⅠ 若狭街道

①熊川宿(倉見屋荻野家住宅、旧逸見勘兵衛家住宅、熊川番所、得法寺、御蔵道ほか)

・倉見屋荻野家住宅

屋号を倉見屋と号し、代々人馬継立の運送業を行う問屋を営んでいた。主屋は熊川宿最古の町屋であり、主屋に隣接して街道に面して建つ荷蔵など、物流で栄えた熊川宿の中核であった問屋の姿をよく表している。

ポータルサイトより抜粋

主屋は熊川宿で最古の町家だそうです。人馬継立の運送業ということもあり、玄関扉の脇には馬をつなぎ止めるためと思われる輪っかのようなものが残されていました。

・旧逸見勘兵衛家住宅
熊川村の初代村長を務めた逸見勘兵衛(へみかんべえ)の住居跡です。造り酒屋を営んでいたということですが、街道沿いにかなりの広い間口を持っています。一般的によく見られる街道沿いの町家ですと間口が狭く奥行きが深いというイメージだったので、かなり印象が異なりますね。

様々な様式の町家が残されている地区です。街道沿いの商家というとなんとなく同じような形態の町家が並んでいて統一されたような景観、という印象があるのですが、熊川宿については、平入りと妻入りの住居が混在していたり、街道に面して蔵が建てられていたり、柱を表に出したり隠したりする「真壁造」と「塗込造」とが混在していたりと様々な「顔」を見せてくれます。
熊川宿は、鯖街道の中でも主要なルートであった「若狭街道」の要所ではあるものの、古墳時代に始まる御食国と畿内とを結んだ鯖街道の歴史の中では比較的新しい時期のものです。
宿場としての整備は16世紀後半頃ではありますが、この道が古来から主要な往来の遺産であることは間違いなく、熊川宿が往時の賑わいの証拠であることも間違いのない事実です。

②瓜割の滝
若狭街道沿いの天徳寺の境内から流れ出ている滝で、夏でも非常に水量が豊富な滝です。滝の周辺は神聖な土地とされており、滝のすぐ上流域は一般の人は立ち入れないようになっています。
「瓜が割れるほどに冷たい」ことからこの名がついたとされており、訪問したこの日は33度ほどまで気温が上昇したのですが、その水は非常に冷たく、また周辺の森のおかげで滝の周りも涼しさを感じさせてくれる場所でした。環境省選定の名水百選にも選ばれています。


ストーリーⅡ 鯖街道の起点

街道の起点である湊町・小浜は、海外や日本海沿岸各地とつながる「海の道」と、都とつながる「陸の道」の結節点として、様々な物資や人、文化が集まる一大港湾都市であった。(中略)この地域には、廻船問屋の豪奢な邸宅・庭園や、桃山時代の世界図及日本図屏風、南蛮渡来の工芸技術に倣って発展した若狭塗などが伝わっているほか、近世の商人町・小浜西組を中心とする城下町では、京都祇園祭の系譜をひく小浜放生祭の華やかな山車や芸能が繰り広げられ、南蛮貿易や日本海交易で繁栄した湊町・小浜の雰囲気を今に伝えている。

ポータルサイトより抜粋
鯖街道起点地

お恥ずかしい話なのですが、訪問した当日は火曜日で資料館などがかなり休館日という大失態でした。と言うわけで訪問はしたものの、街並みの写真を撮るのがせいぜいで皆さんにご紹介したかった「ストーリー」については持ち帰ってくることができませんでした。申し訳ないです。
是非皆さんご自身で訪問し、鯖街道の起点、小浜市の空気に触れていただければと思います。(事前の下調べは大事です)

ストーリーⅢ 針畑越え

①若狭神宮寺、お水送り(鵜の瀬)
神仏習合の初期段階として、各地に創建された神宮寺の一つで、若狭国一之宮の若狭彦神社に附属して建てられた寺院です。鎌倉時代以降は別当寺となりその時点で「神宮寺」に改称したとのことですので、鎌倉期以降は寺院が主となっていたようです。
本堂にはご本尊の薬師如来と一緒に若狭彦・若狭姫が祀られており、神仏習合の形態を色濃く伝えている寺院です。
毎年3月に執り行われる「お水送り」でも知られる寺院で、神宮寺から少し上流の「鵜の瀬」と呼ばれる場所から「送る」水が10日かけて奈良東大寺の「若狭井」に届き、二月堂での「お水取り」の行事に繋がっています。
訪問した日は、夏真っ盛りですので、お水送りのときの厳粛な雰囲気の鵜の瀬ではなく、家族連れが水遊びを楽しむ夏休みの風景が見られました。

若狭神宮寺
鵜の瀬

②若狭彦神社、若狭姫神社
若狭国一之宮の神社で、彦火火出見尊(山幸彦)を祀る若狭彦神社が上社、豊玉姫命を祀る若狭姫神社が下社とされています。この二柱の神様は初代天皇の神武天皇の祖父母にあたる神様です。

③明通寺
806年に坂上田村麻呂により創建された寺院です。本堂と三重塔は鎌倉時代のもので、ともに国宝指定がされています。福井県内の国宝の建造物は、明通寺のこちらの二件のみです。
本堂にはご本尊の薬師如来の両脇に一般的な日光菩薩・月光菩薩ではなく、深沙大将(西遊記の沙悟浄のモデル)と降三世明王を配するという独特な配置となっています。


ストーリーⅣ 若狭の浦々に続く鯖街道

ストーリーⅣの構成文化財はそのほとんどが無形文化財で、神事や祭、念仏などのため、今回の訪問には入っていません。

といった感じで、構成文化財を巡ってきました。今回は自宅から自家用車で訪問してそのまま自家用車と徒歩のみで巡ったのですが、公共交通機関のみで今回のところを網羅しようと思うとかなり大変かもしれません。夏場ということで海水浴での観光客はそれなりにいますが、いずれの訪問先も混み合っているという感じではないので、自家用車もしくはレンタカーでも充分に廻ることができると思います。

すべてという訳ではないのですが、今回の訪問先で感じたことは、「水」との関係性です。若狭全体として若狭湾に面していますので海の恵みがあってこその往来文化遺産ということもあるのですが、熊川宿は若狭湾に注ぐ北川沿いに造られた宿場町で、熊川葛(くず)の産地としても知られています。葛の生産には綺麗な水が欠かせません。
お水送りで知られる「鵜の瀬」は、「水」を通じて遠く奈良・平城京と繋がっています(とされています)。
瓜割の滝は今年の様な猛暑の中でも清涼感を我々に提供してくれていました。
今回はご紹介しなかったのですが、この時期の若狭では葛を使った「水まんじゅう(くずまんじゅう)」が楽しめます。

日本遺産で紹介されているストーリーは、登録されている構成文化財や地域のことを代表しているものではあるのですが、実際に訪問してみると違う側面に触れることができますよね。その土地の空気に触れ、水に触れ、食べ物に触れることで、私が感じたものとは違うストーリーを感じることができるものと思います。


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