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「ここに行ったよ!ここ行きたい!!」その3 塩の国、赤穂を歩く② 忠臣蔵と義士祭

日本遺産ソムリエ 中本美苗

第1部では塩の国の塩づくりについて書いてみたが、第2部では忠臣蔵にまつわる場所と2024年度義士祭をレポートする。 

第2部 忠臣蔵と義士祭

1 忠臣蔵とは?

若い人たちは「忠臣蔵」をよく知らないかもしれない。この物語は、将軍徳川綱吉の時代に実際に起きた「元禄赤穂事件」をもとに作られたものだ。

事件を簡単に説明しておくと、赤穂浅野家当主、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が、江戸城内で吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)に遺恨をもって斬りかかり、傷を負わせた。喧嘩両成敗が通常だったが、浅野内匠頭は詮議もなく、その日のうちに切腹を言い渡され、浅野家は取り潰しに。だが、吉良上野介は無事だったうえ、おとがめなしだった。これを不服とした元家臣たちは水面下で計画を練り、主君切腹から1年10か月後の1702年(元禄15年)12月14日、47名で吉良邸に討ち入って上野介を殺害、その後は神妙にお裁きに従って切腹した、というお話。

実話としてもかなり劇的なのに、さらにドラマチックに脚色したのが「忠臣蔵」だ。当時の庶民にも大人気で、歌舞伎、文楽、落語、講談など、さまざまな古典芸能の題材として取り上げられ、現在でもメジャーな演目として受け継がれている。

2 義士にまつわる場所①:息継ぎの井戸、花岳寺、義士あんどん

今回は義士祭の雰囲気を味わうために前日入りし、義士にまつわる場所を事前訪問。最初に、息継ぎの井戸と義士あんどんのチェック。

息継ぎの井戸は、江戸から「主君浅野内匠頭、江戸城内にて刃傷」の知らせを、通常なら2週間ほどかかるところを、休みなく超早馬で走らせて4日半で赤穂に到着し(!)、ここで水を飲んで一瞬休んだというところ。死にものぐるいでやっと赤穂について、ホッとしたんだろうなぁ……

息継ぎの井戸

そして、近くの花岳寺へ。

花岳寺

ここは浅野家代々の菩提寺であり、四十七士の墓所でもある。翌日の追慕法要の準備が行われていて、いよいよだなという感じ。
中には資料館もあり、写真が撮れないのは残念だったが、討ち入りで実際に使ったと書かれている装束や道具、大石内蔵助直筆の絵や手紙など、四十七士ゆかりの非常に貴重な品々が残っていて、妄想好きのわたしにはたまらない場所だった。

ところで、花岳寺には赤穂藩主代々の墓もあり、浅野家以降の藩主についても資料があった。ご存じのとおり浅野家は改易されたのだが、その後、赤穂に入ったのが森家。この森家とは、あの織田信長小姓、森蘭丸の系列と知ってビックリ。また、義士木像堂があり、すごく年季が入っているけれど、四十七士それぞれの像もあった。四十七士の墓所ではお線香を買ってお供えし、手を合わせた。

花岳寺:墓所

さて、からくり時計が開く時間が近づいたので、義士あんどん前へ。息継ぎの井戸のとなりにある義士あんどんは、赤穂市政60周年記念に設置されたもので、9~20時の毎時ちょうどにからくり時計が動き、「忠臣蔵」の物語を駆け足で見せてくれる。ちょうどになるとナレーションが始まって扉が開いた。全編を撮った(4分弱)ので、興味のある方は見ていただきたい。
人が通ったりして手ブレしているのはご容赦を……

3 義士にまつわる場所②:赤穂城址

無事撮影できて満足したので、歩いてお城方面へ。赤穂城の天守は残っていないが、石垣はきれいに残っていてお城の雰囲気たっぷり。このころの軍学者、山鹿素行(やまがそこう)が赤穂藩に召し抱えられて築城にも関わったとか。中に入ると「跡」なので建物はないが、地面にどういう部屋だったのか書いてあり、本丸内の間取りがわかるようになっている! おもしろい。

右上:赤穂城本丸門、左下:赤穂城本丸内の間取り

本丸の周りには家臣の家が囲むように配置されていて、四十七士のうち主だった人たちの屋敷跡もわかるようになっている。大石内蔵助邸宅跡の長屋門には屋根瓦もあの右二つ巴の家紋が入っていて、当たり前だが、おお~っと思った。ただ、他の屋敷跡は本当に「跡」で、看板が立っているからそうなのかとわかるものの、更地なのが残念。妄想するしかない。

左上:大石邸跡長屋門、右下:磯貝正久宅跡

4 義士にまつわる場所③:大石神社

現在、大石内蔵助の邸宅跡は大石神社の境内となっていて、資料館などもあるのでそちらへ向かう。

大石神社は、明治天皇が大石内蔵助の忠義を称えて神社建立を許可したそうだ。神社は一般的に日本古来の神様をお祀りするもので、天皇以外で「人」を祀っているところは少ない。参道の両脇には、神社へ向かって右側が討ち入り表門部隊、左側には裏門部隊の石像がずらりと並んでいて、一番神社に近いところに、大石内蔵助と大石主税の像がある。

大石神社参道
大石内蔵助像と主税像

こちらにも資料館があり、呼子笛、刀、着衣など、討ち入りに使用したものが展示されていた。着衣はかなり年季が入っていて色が変わっているところがあり、血がついているのだとか! こんなに生々しいものが現在まで残っているんだ! と思うと感慨深い。

なぜ討ち入りに使っていたものが残っているかというと、形見として残したりしたもののようだ。警戒されながらも討ち入りが成功した理由としては、家族・兄弟・親類縁者にも打ち明けずに計画を進めていたからだと言われている。いよいよ今夜討ち入りという段になってやっと手紙(遺書)を書いた、などというエピソードが多く、彼らの生きた証として大切にしたのだろう。忠義とはいえ幕府に歯向かったため、子どもたちまで切腹や流罪になったらしいから、こういうものは切腹のタイミングで処分されていてもおかしくないとは思う。だが、義士の心は幕府にも江戸の人たちにも認められ、語り継がれ、引き継がれて来た結果なんだなと思った。
こちらの資料館も写真撮影は不可。ぜひ訪ねて実物を見てほしい。

ところで、大石神社は討ち入りを果たしたので「心願成就」のご利益があるのだが、境内のとあるところに、こんなものがある。長崎のグラバー邸にもあったな……

大石神社境内のどこかにあるよ

また、ロッキード事件で黒い疑惑のあった田中角栄氏の揮毫した「義士發祥之地」という石碑があったりする。先ほどのハートの石もそうだが、ちょっと俗っぽい感じがしたのはわたしだけ?

5 歴史を感じる場所①:民俗資料館

大石神社から歩いて、民俗資料館へ。さすがに疲れてきたし時間がなくなってきたので、前で写真を撮るだけになった。昔、塩は国管轄だったため、専売公社だったのだ(たばこと同じ)。そのときの社屋を利用しているので、レトロな趣のある建物。中には、昔使っていた生活用品などの展示がある。

赤穂市立民俗資料館

6 歴史を感じる場所②:市立歴史博物館2F

いったん休憩して、城内にある市立歴史博物館を訪ねた。

赤穂市立歴史博物館:後ろから見ると米蔵

こちらでは、赤穂の歴史、主に塩作りと義士についての展示がある。1Fの塩づくり展示については第1部で詳しく書いたので、興味のある方はぜひ読んでいただきたい。

ここも2Fは撮影不可とのことで、義士関係の資料はことごとく撮影不可! 残念!! 訪問して見るしかない……

こちらには城や義士についての資料があった。当時の地図からは、家臣の屋敷の配置や広さがわかる。上位の家臣の屋敷がものすごく広く、家老の大石内蔵助邸など、本丸の一回り小さいぐらいの面積あるやん! と思ってしまった。昔の地図なので、実際にきちんと測量して書いていないだろうけど。

義士の書いた書や手紙、絵などのほか、忠臣蔵の浮世絵や紙の玩具など、歴史だけではなく文化としての資料もあり、なかなかおもしろかった。ビデオルームがあり、文楽「仮名手本忠臣蔵」の名場面を見ることもできた。

ここで宿に戻って1泊。赤穂は海のほうへ行くと温泉もあり、せっかくなので温泉が楽しめる宿に。お湯は透明でさらっとしていて、ほんのり塩の味がして、それほど温度も高くなく心地よかった。

7 義士祭パレード

さて、翌日。義士祭のメインはパレード。出発点は大石神社、終点は花岳寺前ということで、あちこち出店も出ているし、コースとなる道沿いにはすでに人がどんどん集まっている……

先に赤穂緞通の見学をしていたら(第1部参照)すでに半分ぐらい進んでいて、急いで沿道へ。心得ている人たちは椅子持参、あるいは縁石に座っている。たまたま隙間が空いていたので、滑り込んで座って見ることができた。いろいろ通っていったのだが、おもしろかったものをいくつか紹介する。

●大名行列
赤穂の保存会の方々が出演。途中で動きが変わり、毛槍を投げて受け渡しするのがハイライト。長持は2人一組で、ピッタリ引っ付いて1つに見せるのが決まりだそうだ。独特の動きがおもしろいが、こういうパフォーマンスは、宿場町や城下町など、人が集まるところのみ。それ以外のところは大急ぎで通っていったらしい。

●忠臣蔵名場面の山車
軽トラックの上に人が数名乗って、松の廊下(刃傷)、内匠頭切腹、討ち入りなどの名シーンを、静止画のように動かずに演じている! マネキンではなくて人なので、じ~~~~っと見ていたらさすがにちょっと動くけど、大石神社から花岳寺前までの20分ほどを、その瞬間を切り取ったまま通り過ぎていく。これはすごい!

●義士行列
全国から公募した四十七士役プラス大石内蔵助役の俳優さんが、討ち入り装束で練り歩く。今年の内蔵助役は内藤剛志さん。太鼓を叩きつつ、沿道の声援に応えながらにこやかに進んでいった。ちなみに、討ち入り装束というと、黒地に白のだんだら模様(バナー参照)を思い浮かべる人も多いと思うが、あれは「忠臣蔵」、つまり物語用に生み出された衣装で、本来は火事場装束。

この義士祭では、県立赤穂高等学校の生徒たちがかなり活躍していたようだ。もしかしたら面倒くさいなどと思いつつ参加していた生徒もいたかもしれないが、年を取ったり赤穂を離れたりすると、こういう体験を懐かしく思い出すだろうと思う。こうやって伝統や郷土愛が継承され、育まれていくのだろうなと、ちょっとうらやましく思いながら、混み混みの電車に乗って帰ってきた。


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