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【日本遺産の基礎知識】「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜(岐阜県)

執筆:日本遺産普及協会監事 黒田尚嗣

岐阜県の日本遺産「『信長公のおもてなし』が息づく戦国城下町・岐阜」の基礎知識を紹介します。
※本記事は、『日本遺産検定3級公式テキスト』一般社団法人日本遺産普及協会監修/黒田尚嗣編著(日本能率協会マネジメントセンター)より一部を抜粋・再編集したものです。


日本遺産指定の背景

 戦国時代、岐阜城を拠点に天下統一を目指した織田信長。彼は戦いを進める一方、城内に「地上の楽園」と称される宮殿を建設、軍事施設である城に「魅せる」という独創性を加え、城下一帯を最高のおもてなし空間としてまとめあげました。
 自然景観を活かした城内外の眺望や長良川での鵜飼観覧による接待。冷徹なイメージを覆すような信長のおもてなしは、宣教師ルイス・フロイスら世界の賓客をも魅了しました。信長が形作った城・町・川文化は城としての役割を終えた後も受け継がれ、現在の岐阜の町に息づいています。

岐阜城からの眺め

1. 岐阜城でおもてなし ― 山麓の居館(迎賓館)

 日本史上、最も有名な人物の一人である信長は、冷徹非道、戦上手(いくさじょうず)、改革者、破壊者等のイメージで語られがちですが、岐阜城やその城下で行ったのは戦いではなく、意外にも手厚いおもてなしでした。
 岐阜城の山麓に築かれた館は、訪問者が最初に訪れる場所で、そこでは建物や庭の見学、踊りと歌、おやつや食事、贈り物等の接待が行われました。堺の茶人・商人の津田宗及(つだそうぎゅう)に対しては、彼一人のためだけの茶会を開き、美濃特産の干柿を含んだ豪華な料理を振る舞いました。

2. 岐阜城でおもてなし ― 山上の城郭

 信長公は、軍事施設である山上にも人を招きました。永禄12(1569)年、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは柴田勝家の案内で山上を訪れ、豪華な座敷でお茶と食事をいただきましたが、その際も信長公が膳を運び給仕を行いました。フロイスは、膳を頭上に掲げて感謝の気持ちを示したところ「汁をこぼさぬよう、まっすぐに持つように」と信長公に声をかけられたことを記しています。

3.  岐阜城でおもてなし ― 山上からの眺め

 濃尾平野を一望する天守からの絶景は、信長公自慢の風景で、昔も今も
大きな見どころです。永禄12(1569)年に岐阜を訪れた京都の公家・山科言継(やましなときつぐ)は、岐阜滞在中に「山の城一覧の望(山上の城も見たい)」とお願いし、晩餐会に招かれました。
 食事のあとに城内の見学をしていますが、山上からの眺めについて「険難の風景、言語に説くべからず(険しい風景は、言葉にすることができない)」とその感想を記しています。

4. 鵜飼でおもてなし ― 長良川の鵜飼

 信長公は、長良川や金華山を背景に行われる鵜飼を接待の場として用いました。永禄11(1568)年に武田信玄の使者、秋山伯耆守(ほうきのかみ)虎繁(とらしげは山麓での食事や能の鑑賞の後、長良川での鵜飼(うかい)観覧に招かれ、信長公は武田信玄に気を遣い、獲れた鮎を自ら確認して甲府に届けさせています。
 また、信長公は「鵜匠(うしょう)」の名称を与え、禄米(ろくまい)十俵を給して保護したと伝えられており、鵜飼は時代を通じて大事に守られてきました。

長良川の鵜飼

「「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜」の詳しい情報はこちら

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著者プロフィール

日本遺産普及協会代表監事。近畿日本ツーリストなどを経て、現在はクラブツーリズム株式会社の顧問を務める。旅の文化カレッジ講師として「旅行+知恵=人生のときめき」をテーマに旅の講座や旅行の企画、ツアーに同行する案内人や添乗員の育成などを行う。また自らもツアーに同行し、「世界遺産・日本遺産の語り部」として活躍中。旅行情報誌『月刊 旅行読売』に「日本遺産のミカタ」連載中。著書に『日本遺産の教科書 令和の旅指南』などがある。日本遺産国際フォーラム パネリスト、一般社団法人日本旅行作家協会会員、旅の文化研究所研究員、総合旅行業取扱管理者

運営:日本遺産普及協会


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